第598回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第597話  シベリア米騒動の事。         2013年10月11日 金曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
     新聞の一面に、「 寺内内閣、チェコ人、ポーランド人、邦人保護のため、沿海州に出兵
 
   決定。」と、大きく見出しが載ると、 陸軍の連隊の拠点のある、軍都を中心に、米屋が、
 
   陸軍からの特需を見越して、売り惜しみと、 必要のない、米の買い占めを行いだしたの
 
   でした。
 
 
   
イメージ 1
 
 
 
          又、山縣侯爵の指示で、陸軍も、全国の連隊の所在地に命令を出して、物資の
 
          買いつけを始めたので、さらに品薄になり、 結果、 米、味噌、酒、その他の
 
          必需品が、 どんどんと、値上がりしていったのでした。
 
 
 
イメージ 2
  
 
 
    当時の記録では、そうですね、何を基準にするかで、多少前後するのですが、10キロ
 
     あたり、3円、 1合が、3銭 程度であったと思います。
 
    昭和の戦後の現在に価値に直すと、 約、10キロで、6千円であった、米が、2ヶ月で、
 
    倍の10キロで、1万2千円になったのでした。
 
    つまり、戦後の現在の店頭価格の4倍というところまで、高騰したわけです。
 
 
 
イメージ 9
 
 
      
    これを、見つめていた、立憲政友会の幹事長、原 敬 は、さらに、傘下の新聞社に、
 
    富山県のご婦人方の、悪徳買い占め、売り惜しみ、米商人を懲罰したという、記事を、全国に
 
    配布したのでした。
 
 
 
イメージ 10
 
 
        
             この、富山県の婦人達の一連の抗議行動が、新聞で報じられると、
 
 
イメージ 11
 
 
  
 
    それぞれの、全国の陸軍の連隊司令部のある、値上がりの激しい都市から、一斉に、
 
 抗議運動が始まり、 味噌、酒、大豆、塩 などを、求めて騒動が発生したのでした。
 
 
 
イメージ 12
 
 
      又、これらの騒動を煽動していたのは、 立憲政友会系の地方政治家で、買い占めを
 
    やめて、国民の生活を守るように、訴えていったのですが、これが、拍手喝采をあびて
 
    行き、 国民の為の政治をしていく、 立憲政友会は、人気が上昇していったのでした。
 
    また、右翼団体なども、 これらの抗議運動を、煽動していったため、全国で運動が
 
     広がっていったのでした。
 
 
 
 
イメージ 13
 
 
 
    これらの、富山県の抗議騒動を初めとして、日本全国に抗議運動が広がり、米を買い占め
 
    して米藏にしまい込んでいるのを、 火をつけられて、焼き討ちしたり、 どんどんと、エス
 
    カレートしていき、毎日のように、今日は、旭川で、米屋焼き討ちとか、 岡山市の米屋の
 
    藏には、 米俵が、山積みであったのを、発見し、 差し押さえして、分配配給したとか、そんな
 
    新聞記事が、ほぼ、毎日続いたのでした。
 
 
 
イメージ 14
 
 
 
    これらの新聞報道を見た、大阪の市民達は、女性を中心に、抗議活動を行っていたのですが、
 
 
 
イメージ 15
 
 
  
        この騒ぎに、だんだんと、労働者、無宿者、その他の男達が加わっていき、
 
       石を投げるなどの、投石や、破壊活動に発展し、 米屋を襲撃し、 商品を略奪
 
 
 
イメージ 16
 
 
 
         米俵を、持ち逃げしたり、 道路に米をさばいたり、放り投げたりした後、米屋に
 
 
         放火して、 米屋が全焼するという事件に発展したのでした。
 
 
 
イメージ 3
 
 
 
         そして、翌日の新聞に、大阪の米屋の焼き討ち事件が報道されると、またまた、
 
         各地に飛び火して、焼き討ちが発生したのでした。
 
 
 
イメージ 4
 
 
 
         これらの全国的な一連の騒動の事を、シベリア出兵米騒動、又は、戦後は、
 
        大正米騒動と呼んでいるのです。
 
 
 
 
イメージ 5
 
 
 
    当時の内務大臣、後藤新平は、寺内総理大臣に、警察だけでは、暴動を鎮圧できず、
 
    軍隊による、治安回復を意見具申したのでした。
 
    実は、警察官も当事、困窮し、 一緒に打ち壊しに参加したり、悪徳米商人の焼き討ちを
 
    見て見ぬ振りをしていたのでした。
 
 
 
イメージ 6
 
 
 
                 【  当事の内閣総理大臣   寺内 正毅 大将 】
 
 
 
   当事の内閣総理大臣 寺内大将は、 暴動鎮圧のため、陸軍に出動命令を出し、
 
 
   陸軍参謀本部の、参謀総長 上原勇作 大将は、全国の連隊長に、暴動鎮圧の
 
   出動命令を発令したのでした。
 
 
    
イメージ 7
 
 
 
                     【 陸軍参謀総長   上原 勇作 大将 】
 
 
 
 
イメージ 8
 
 
 
         そして、全国各地の市内に、戒厳令が布告され、 夜間の外出、などが、
 
         制限されるようになったのです。
 
 
 
  【 次回に続く。 】