第601回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
中国 満州のハルピン駅から、鉄道で一路、南下した、三好少尉は、車中で
車窓から、雪景色の風景を楽しんでいたのです。
当事の鉄道は、特等から、三等まで、料金によって、区別されていて、特等席は、
戦後の現在の海外旅行で乗る飛行機の、ファーストクラスのような、 食事や、
飲み物のサービスが受けれたのでした。
温かい客車で、 赤ワインを、ちびりちびりと、やりながら、ウラジオストックに着いたら、
どのように、事を運ぶか、思案していたのでした。
そこに、支那人の服装をした女が近づいてきて、 小声で、「 チョーコトウシャオチェン。」
と、語りかけてきたので、合い言葉の、「 チョーコイーパィチェン。」と、返答をすると、
カバンを、三好少尉に渡して、すぐ姿を消したのでした。
ハルピンの特務機関では、見かけない顔なので、 奉天かどこかの、特務機関の女では
無いかと思ったのですが、 しばらくして、個室の寝台に戻り、カバンを開けると、
工作資金とウラジオストック市内の地図が入っていたのでした。
を開設するとともに、 宣撫工作作戦【せんぶこうさくさくせん】の為、 内地小樽港
をせよ。と言う内容であったのです。
宣撫工作作戦【せんぶこうさくさくせん】とは、何かと言いますと、 日本が占領した後に、
その地方の外国市民を安心させるために、 民心安定を目的として、派遣される宣撫官という
職種の工作員で、 いろんなケースがあるのですが、 宗教指導者に化けて、 宗教活動をしな
がら、諜報活動をしたり、 情報交換場所として、 宗教施設を利用したり、当時はしていたのです。
浦塩支店をたずねたのでした。
天下りをする、まあ、当事は日本では、大きな銀行の1つで、 積極的に海外に支店を設けて
政府の協力をする傍ら、 政府の事業に深く関与して、 発展していた銀行でした。
東京帝大卒のエリートでした。
二階の一室に案内されたのでした。
入り口には、すでに、泰平組合 ウラジオストック支店と、 表札がかけてあったのでした。
【 次回に続く。 】