第602回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第601話 シベリア共和国との軍事同盟の事。 2013年10月15日 火曜日の投稿です。
外務省の幣原喜重郎 【しではら きじゅうろう】外務次官が進めていた、戦わずして
ロシア沿海州方面を押さえる、外務省の対外工作は、思惑通り事が運び、日本は、
コルチャック提督のシベリア共和国を軍事支援し、又、イギリス、フランス、イタリア
承認するに至ったのでした。
シベリア共和国は、当時 首都をオムスクという都市におきまして、 元首の
なども、同じ海軍と言う事で、彼に従っていたのです。
コルチャック提督は、ロシア人ではなく、ウクライナ人で、 ロシアに占領されて、高い重税を
のでした。
シベリア共和国の首都、オムスクの銀行には、 ロシア皇帝が集めた金塊を保管していまして、
コルチャック提督達は、いち早く、このオムスクの銀行を押さえ、軍資金にしていたのです。
シベリア共和国は、このロシア皇帝の残した、金塊を素早く押さえ、 当事これらの金塊を
要所要所に、ばらまいて、 シベリア共和国への指示を広げていたのでした。
そして、モスクワ政府の、レーニンは、これらの金塊は、人民の金塊て゛あるとして、
この金塊を押さえるためにオムスク攻撃を計画していたのでした。
背後をうかがわれ、 兵器、軍事物資が欠乏し、難儀をしていたところに、日本の軍事援助の話が
いうので、渡りに船で、この日本の申し出に、飛びついたのでした。
北部の脅威を取り除くとともに、 この際、沿海州を制圧して、陸軍では、この部分を日本領にするか、
傀儡政権を作ろうとしていたのでした。
外務省は、コルチャック提督から、 ウラジオストックに上陸する許可を取り、
条件付きで、ウラジオストック付近への日本軍の駐留が認められたのでした。
このような外交交渉で、 上陸許可がおり、海老原大佐の指揮する 戦艦 石見 から、
アレウッカヤ通り、39番の堀江商店の 缶詰工場の一角に、駐屯したのでした。
が、実際は、寒波と、吹雪で、行動は困難で、 建物の中に、待機しているのが、
やっとだったのです。
そして、 北海道の小樽港から、1隻の貨物船が到着したのでした。
そして、 寒い寒風の吹く中、 僧侶の姿の日本人が一人、 神父姿の男が5名、
ウラジオストック市内に、吹雪の中、消えていったのでした。