第605回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第604話 ウラジオストック、4,4事件の事。 2013年10月18日 金曜日の投稿です。
大正7年の春、 野間口 兼雄 中将指揮する、日本海軍 第3艦隊 総数19隻は、
【 第3艦隊 司令長官 野間口 兼雄 中将 海兵13期卒 】
旗艦 春日と、
のでした。
現金の米ドルで、工作資金を、支給していたのでした。
あると思うが、 天皇陛下の軍資金であるから、公務以外は使用するな。
合わせて、手持ちのルーブル通貨も、支給する。」
と、言いながら、三好中尉に、配布の指示を出すと、 窓から外の景色を眺めて、
「 我が輩も、雪国の石川県の出身であるが、 この地域の冷え込みは、すごいもんじゃ。」
と、窓の外を見ながら、つぶやくと。
すると、三井道郎が、「 閣下、 シベリア内陸部は、雪解けが、6月中旬だそうで、3月後半
では、まだ3ヶ月程度は、雪が溶けないと思います。」と、言うと、 「 わしも、陸士の学生
時分に、こんな、商社の駐在員紛いのことをするようになるとは、思いもせなんだわい。」と、
高柳少将が言うと、みんな、 「はっはっはっはっはーーーーー。」と、笑いがこぼれたのでした。
「 これから、全員に支給するのは、南部小型式拳銃と言って、南部少将が、設計した、
従来の南部式拳銃の小型版で、 1ミリ程度、口径が小さい弾丸を使用するので、みんな
注意せよ、 小さくて、薄くて、ポケットに入る大きさで、 挺進特務作戦向きの拳銃である。」
「 つまり、これから商談に及ぶ、大型拳銃とは、口径が違うわけである。
尚、 武運つたなく、 敵に囲まれたときのために、自分用に1発取っておくように、
このシベリアの荒野で、倒れても、だれも骨は拾う物はおらんと心得よ。
諸氏の、武運長久を念ずる。 以上。」と、 打ち合わせの後、 高柳、三井、石川の
3人は、バラバラに、正金銀行浦塩支店を出発して、 町の中に消えたのでした。
月は、変わって、大正7年の4月4日 まだ、雪が積もっている、ウラジオストック市内の
日本人商店に、覆面をした、ロシア人風の3人の男達が、入ってきたのでした。
彼らは、懐のコートから、ロシア軍が装備している、ナガンM1895拳銃を取り出して、
天井に向かって、一発、 「 パッカーーン。」 と、威嚇発砲した後、 日本人店員3人らに
対して、ロシア語で、「 ストーーィ ルキ、ヴェルヒ。」と、連呼して、 現金箱の近くの日本人に、
銃を向けて、「ヤポンスキー 、カネ、カネ、 カネ。」 と、叫んだのでした。
1番端の日本人店員か、 そっと、懐に手を伸ばそうとした瞬間、「 ヤポンスキー、 ストーーイ。」
と、叫んで、
店内の3人の日本人に向かって、拳銃の弾丸を、「 パカッーーン、パカッーーン、パカッーン。」
と、連射し、日本人店員ガ3人が、血を吹いて、その場に崩れたのでした。
3人とも、 金の入った箱をそのままつかむと、「 ダウィ ダウィ。」 と、叫びながら、バラバラに逃走
したのでした。
当時のウラジオストックの行政権は、ロシア、白軍にあって、 ロシア側がこの事件を
事件現場で、調査したのですが、日本人3人は、既に死亡して、 冷たい体になっていた
のでした。
当日は、犯人は逃走して、 逮捕に至らず、 夜になったのでした。