第606回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第605話 ウラジオストック特別陸戦隊出動セリ。 2013年10月19日土曜日の投稿です。
1918年 大正8年4月4日に、極東、ウラジオストック市内で起きた、ロシア人らしき、3人組に
よる、日本人商店強盗殺人事件は、 日本人3人が射殺され、 犯人が逮捕されぬまま、翌日の
4月5日の早朝を迎えたのでした。
朝、暗いうちの0400時に、堀江商店 缶詰工場の一角で、整列した、海軍浦潮特別陸戦隊、
4個小隊、約200名は、 指揮官 海軍少佐 石川 光儀 の訓示を聞いたのでした。
「 諸君、 昨日午前中、日本人が3名が、3人の強盗に襲われ、 射殺された。
我が、海軍特別陸戦隊は、 日本人居留民保護と、犯人逮捕のため、 ウラジオストック、
港、 市内要地、 数カ所に、本日これより展開し、 主要な場所を、制圧下におく。
第4小隊は、 ここの堀江商店の缶詰工場の駐屯場所の警備、 他の部隊の、支援、補給
にあたれ。
第1小隊は、 ウラジオストックの港を制圧せよ。
第2小隊は、 本官と供に、殺害現場付近に、展開検問を実施せよ。
第3小隊は、 ウラジオストック駅、及び、市中の主要交差点を制圧
陣地を構築せよ。
通行人は、身体検査を用心して行い、 拳銃などを所持していないか、 犯人捜索にあたれ
以上である。」 と、命令を出すと、 現地時間の0500時を持って、 一斉に作戦行動を
開始したのでした。
海軍の陸戦隊兵士は、小銃に着剣して、薄暗いウラジオストック市内に、次々移動し、
指示のあった、 市内主要交差点などを、制圧確保したのでした。
特に、 前日から用意していた、土のうなどで、 ウラジオストックの主要箇所に、陣地を
夜明けまでに構築し、
検問所などを、設けて、通行人の所持品検査などを、始めたのでした。
朝の0700時までに、 ほとんどの主要交差点で、陣地構築が完了し、
一部の部隊は、ルースキー要塞から、ロシア白軍が、攻撃してきたときのために、
民家を、接収し、 反撃に備えたのでした。
驚いた様子でしたが、 発砲などの騒動もなく、 普段と変わらぬ、1日であったそうです。
ウラジオストックの海軍特別陸戦隊から、電信で、 市内展開確保完了を知らせる
暗号、 「 ハナサク、 ハナサク、 ハナサク。」 が、送信され、 戦艦 石見
第3艦隊の艦艇などに、打電されたのでした。
ウラジオストック特別陸戦隊の暗号を受信し、 解読したのち、 通信参謀から、
参謀長の 内田虎三郎 少将に、電信文が、手渡され。
野間口 司令長官に、 すぐ報告されたのでした。
「 長官、 ウラジオストックからの、通信を傍受いたしました。」
野間口中将は、 「うむ、読み上げろ。」 と、静かに返事をすると、 参謀長の内田虎三郎
少将は、電文を読み上げたのでした。
本文、 ハナサク、ハナサク ハナサク 04050800 であります。」
野間口中将は、「 ウラジオストック市内は、4月4日 朝の8時をもって、わが、特別陸戦隊
ガ制圧した、 いよいよ、 この作戦が動き出す。 内田 参謀長、 ウラジオストックに向けて、
艦隊、第5戦速、 通信参謀、 信号籏、 発光信号で、各艦に通知せよ。」
三笠の航海長が、 伝声管に、大声で、 「両舷全速前進、 第5戦速、 ヨーーソローー。」
と、叫んだのでした。
日本海軍の調査で、4月4日の射殺事件の、犯行日時は、11時頃、 人員はロシア人5人、
内、実行犯、3名、 見張り2名 となっています。
【 次回に続く。 】