第608回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第607話 国内に戦雲立ちこめるの事。 2013年10月21日月曜日の投稿です。
国内の商品の価格が、倍以上に高騰し、各地で、暴動が起こる中、北海道、 愛知県、福岡県
の、第7師団、 第3師団、第12師団に、出陣命令が、陸軍参謀本部から、発令されたのでした。
各師団の隷下の連隊では、予備役召集令状を出して、 兵士を民間から招集したのでした。
これを、世間では、赤紙と言いまして、 期日前までに、連隊の宿営地まで出向かないと、
当時、 鉛筆の粉を砕いて、薄く胸に塗って、レントゲン写真を医師に撮影してもらい、
部隊に提出して、「肺病です。」と、申し立てたりして、兵役のがれをする人もあったようです。
当時の政治指導者のささいな考えから、多くの生命が、もてあそばされたのです。
北海道の旭川市では、 第7師団の第26連隊、 第27連隊 第28連隊に、出陣命令が下り、
みんな、家族の夫、 息子の無事を祈って、 日の丸、軍艦旗を振って、見送ったのです。
どんな、気持ちであったでしょうかーーーー。
鉄道沿線沿いの、農作業中のご婦人達も、 万歳を連呼して、男達を見送ったのです。
【 第7師団 師団長 内野 辰次郎 中将 福岡県出身 陸士1期 陸大16期 】
北海道 第7師団は、旭川の3個連隊を中心に、 小樽に転進し、随時輸送船に
兵馬を積み込んで、一路、ウラジオストックに向けて、出発したのです。
【 第3師団 師団長 大庭二郎 陸軍中将 山口県出身 陸士8期 陸大8期 】
第3師団は、 大庭二郎陸軍中将を師団長に、 名古屋を軍楽隊を先頭に出発して、
【 浦潮派遣軍 司令官 大谷喜久蔵 陸軍大将 福井県出身 陸士2期】
【 浦潮派遣軍 参謀長 由比 光衛 陸軍少将 高知県出身 陸士5期 】
又、舞鶴から、 浦潮派遣軍司令官の、大谷喜久蔵 陸軍大将、 参謀長の由比光衛 陸軍少将
などの、司令部要員も、合流して、一路ウラジオストックに向けて、出発したのでした。
一方、満州鉄道を警備していた、九州の久留米第12師団にも、出陣命令が下り、
小倉の第14連隊 小倉の47連隊 久留米の24連隊 久留米の48連隊を主軸として、
【 久留米第12師団 師団長 大井 成元 陸軍中将 山口県出身 陸士6期 陸大4期 】
満州、ハルピンから、大井成元中将指揮の下、 進軍を開始したのでした。
第12師団は、 テェーヴェーエール共和国の側面を、満州側から、攻撃するように
命令が発令され、 一路進撃を開始したのでした。 小倉の14連隊、47連隊の、