第611回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第610話 マルクス先生とエンゲルス先生の事。

                     2013年10月24日 木曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
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【左がエンゲルスの家族、 右が、マルクス夫妻、 両家は家族ぐるみの

つきあいで、両家とも仲が良かった。】
 
 
 
  マルクス先生事、 カール、マルクス と、エンゲルス先生の事、 フリードリッヒ

エンゲルスは、共産主義思想の、元祖と知られていて、 私が海軍に入った頃は、

危険思想と言う事で、本を見るのも禁止しされていましたし、 論じていたら、当時は、

特別高等警察や、憲兵隊に、逮捕されていたので、戦後になって、本を読むに至り

ました。
 
 
 
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  読んで、感想を書きますと、一冊の本が出来てしまいますので、ここでは省略

しますが、 マルクス先生は、ドイツ国生まれなのですが、自ら、国籍を捨てて、 

イギリスで暮らしたことが多く、また、イギリスで、亡くなりになっています。
 
 主な職業は出版業であったようで、 いつも貧乏していて、生活費が枯渇し、 

 エンゲルス先生にお金を恵んでいただいて、生活していたようです。
 
 
 
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エンゲルス先生の方は、小さな工場の経営者で、 通常の庶民の暮らしをされて

いたようです。
 
エンゲルス先生の方も、もう少し楽に、庶民が暮らしていける方法はない物かと、

考えられていて、二人が出会って話が合い、家族ぐるみで、つきあいをしていた

ようですが、 エンゲルス先生が、マルクス一家の、生活を金銭面で援助して、気を

使うことが、多かったようです。
 
二人とも、生きていたのは、江戸時代後期から、明治中期頃の人達で、私達の生ま

れた頃には、この世の人ではなかったのですが、マルクス先生達の本は、以後、

ずっと、 読み続けられています。
 
レーニンも、トッロッキーも、ルイコフも、スターリンも、ヒットラーも、チャーチルも、

ルーズベルトも、毛沢東も、周恩来も、蒋介石も、金日成も、いろんな人に読まれて

きたのです。
 
考えて見ますと、 二人とも、大金持ちではなく、 貧乏だったので、どうしたらよいか

という事を考えて、いろんな発案をして、共産主義という考えになっていったのですが、

基本的な事は、
 
 
 
「 庶民を生活苦から救い、みんなが安寧に暮らしていける政治をする。」 

と、言うことでした。
 
 
 
      決して、人々を不幸にするという事は、考えになかったのです。
 
 
 
ここを覚えていただきたいのです。  共産主義とは、人々を幸福にするために、
 
考えられた、学説で、レーニンや、スターリンや、ポルポトのなどの、共産主義

呼ぶ恐怖独裁政治は、共産主義を騙った、にせ物なのです。
 
 
 
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 日本陸軍と、多国籍軍が、ウラジオストックに上陸して、 進撃準備をしていた、

大正7年当時、レーニンは、共産主義を唱えて、 モスクワで、 共産主義国

なる物を作っていたのですが、
 
 
 
 
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大正7年 7月、 ロシア皇帝を処刑にして、ユダヤ人の犯行に偽装すると、ユダヤ

人を迫害し、今度は、ロシア皇帝に近い、貴族を、架空の罪を、作り上げ、家族

共々512人処刑します。
 
これは、ロシア皇帝一家の血筋の人間が、 また、ロシア皇帝の別名を名乗って、

擁立されるのを防ぐ為であったと言われています。
 
 
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  【 アレレクセイ ルイコフ 当時の政治局員  当時内務大臣に相当する事を

担当していた。】
 
   
そして、 冬場、食料がこのままでは不足すると、ルイコフ から、報告を受けると、
 
 
 
 
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レーニンは、 「 食料など、 あるところには、たくさんあるはずだ。」と言い放ち、
 
スターリンを責任者にして、 ロシア南部の農家などから、強制徴収を始めたの

でした。
 
 
 
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            【 グルジア人のスターリン と レーニン 】
 
 
レーニンは、土地、建物、食料など、すべての物は、国の物で、 庶民、農民は1度

穀物など
 
 
 
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すべて、国に提出して、 配給を受ければよいと言う考えで、 配下の赤軍兵士

を派遣して小銃を突きつけて、 農家から、すべての穀物を取り上げていったの

でした。
 
 
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そして、協力しない人、 穀物を隠す人、 このような人は、 資本主義者と呼び捨

て、処刑し、民衆の前で、一家を処刑して、さらし者にしたのです。
 
 
 
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 そして、スターリンは家に入り込んで、すべての食料を取り上げて、 持ち帰って

しまったのです。
 
そして混乱が起きたのが、すべての人々に、食料の配布がなかったのです。
 
 
 
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みなさん、ロシア皇帝や、地主のロシア正教会は、税金と称して半分程度、穀物
 
搾取する程度でしたが、 家も、国の物にする、 農地も国の物にする、 食料も


 
 
 
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すべて国の物にする、 こんな申し立てで、銃を突きつけて、すべてを持ち去って

しまい、南部のウクライナでは、豊作にもかかわらず、多くの餓死者が発生した

のです。
 
 
 
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みなさんの家でも、ある日、ロシア赤軍兵士が来て、みなさんが大切にしている、

家の中の物を、国の物だと言って、持って行かれたり、 冷蔵庫の中の物を、

国の物だと言って持って行かれ、「 ここの家と、土地は、国で没収する、おまえ達

は、あそこの倉庫で暮らせ。」と言って、今まで長年住んでいた、先祖伝来の家を

追い出されたら、 どんな思いをされますでしょうか。
 
 
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 これを、拒否したら、 殴る蹴るの暴行の後、村のみんなに見えるように、引き出

されて、銃殺されて、家に火をつけられて、 一家皆殺しにされて、見せしめにされ

るわけです。
 
 
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これが、本当の共産主義かというと、そうではなくして、 レーニンや、スターリン

ような人々を苦しめる、独裁恐怖政治を、 経済学用語で、プロレタリア独裁主義

と言います。
 
小作農をしていた人は、ソビエト共産党を支援していたら、 自分たちで土地が持て

て、生活が楽になると、愚かな希望を持っていたのですが、 実際は、大きく違って

いたというのが実情で、 さらに、 農村に、ロシア赤軍兵士が武器を持って、押し

寄せて来て、 
 

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若い男達を、無理やり、連行して、兵士にして、 戦場に連れて行き、後から

機関銃で おどして、 敵に突撃させるという、野蛮なことも、日常行われていたの

です。
 
そして、生きて単身帰っても、 脱走罪にとわれて、 銃殺されたり、 恐ろしい国に

なっていくのでした。
 
 
 
 
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そして、レーニンは、この年、部下の共産党員などを監視するため、秘密警察を作り

ます。
 
物資や、特典を与えて、密告を奨励し、 罪もない人が、多く逮捕され、死んでいく

のですが、この秘密警察を、当時、 チェッカー と、呼ばれていたのです。
 
 
 
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  そして、 1918年【 大正7年 】 8月30日モスクワ民衆の前で、地方から、

根こそぎ徴発してきた食料を、市民に配布しながら、 「 共産党万歳、 人民同志

諸君、 資本主義者と宗教指導者と、ユダヤ人を追放し、労働者の国を作ろう。」

などと、庶民を煽動する、演説をしていた最中、群衆の中から、 発砲が始まった

のでした。
 
 
「 パッカーーン、パッカーーン、パッカーーン。パッカーーン、 パッカーーン。」

 レーニンに向かって、 引き金が引かれたのでした。
 
 
 
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ちょうど、ウラジオストックにカナダ軍が上陸して、行進している頃のお話でした。
 
 
 
【次回に続く。】