第636回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第635回 浦塩派遣軍人事異動の事。 2013年11月18日 月曜日の投稿です。
日本軍だけで、 テーヴェーエール共和國をたたきつぶして、 首都のチタを制圧し、
ズルズルと、アメリカ軍や、イギリス軍などに、付き合わされていては、 らちがあかぬと
考えて、陸軍参謀総長の 上原勇作大将に、 軍司令官の差し替えを指示したのでした。
陸軍参謀総長、 上原勇作大将は、 山縣侯爵の指示通り、人事を発令したの
ですが、 大谷大将は、 教育総監に、 参謀長の由比 中将は、ドイツの要塞が
あった、チンタオ要塞司令官として、辞令が発令され、 浦塩派遣軍の司令官には、
久留米の第12師団の、大井成元 中将が、山縣有朋侯爵の指示で指名され、
指名されたのでした。
大井中将は、配下の部隊が、共産党のゲリラに、手痛い攻撃を受け、 報復と称して、
村々を、焼き払ったり、 手荒な戦法を取っていたのですが、 そういうことを山縣有朋
侯爵が、ききつけ、 彼を浦塩派遣軍 の総司令官に、推挙したようでした。
裏を返せば、 どんなことをしても、共産党のゲリラを、根絶やしにして、平定せよと言う
命令でもあったようです。
大正8年の雪解けから、激戦が繰り広げられ、抵抗していた 村々は、焼き払われ、
どんどんと、バイカル湖方面に、戦線が拡大していたようです。
このように、村々を臨検して、 武器などが発見されると、共産ゲリラと決めつけて、
村を焼き払い、 ゲリラを処刑する方法は、 それまで、共産主義者でない人々
在住の朝鮮人系の人のことを、当時、高麗人【こうらいじん】と、呼んでいたのですが、
共和国の戦争に荷担して、日本軍を攻撃してきたのです。
活動が制限されるので、 広いシベリアに移動して、軍事力を高めようとしていたようです。
その数は、数千人の規模になっていくのでした。
軍隊は、 難民救助が、終了したと言って、撤退していくのでした。
アメリカ軍が、引き上げを開始すると、 カナダ軍も、撤退を開始して、 雪崩を
打つような感じで、各国がウラジオストックから、引き上げていくのでした。
彼らからすると、南方の資源地帯に比べて、夏は、短く、泥沼になり、
冬は、寒くて、-35度近くになり、海水も凍結して、不便きわまりなく、特に、産物
といっても、木材と、海産物程度で、 植民地にしても仕方がないと、考えていた
ようです。
結局、最後まで残っていた、イギリスのインド軍も、 アメリカから、イギリスに
圧力がかかったのか、 引き上げることになってしまい、 残ったのは、日本だけに
なってしまうのでした。
そして、欧米諸国は、 連携して、日本の外務省に、シベリアからの撤退を、
申し入れてきたのでした。
つまり、日本は、イギリスに利用されるだけ、利用され、 使い棄てられたの
でした。
そうこう、すったもんだしている内に、 又、シベリアの秋が来てしまい、
随分と、地図上では、日本の支配地域が広がったのですが、駅と、線路を、
確保していただけであったのです。
これらの事で、大井中将は、陸軍大将に、 稲垣少将は、陸軍中将に、
昇進して、 勲章を授与されるのですが、 冬場に、凍結して、補給が滞り、
部隊は、移動も出来ず、孤立していくのでした。
そして、 中央を揺るがす、事件が発生するのでした。
【次回に続く。】