第639回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第638話 中国人の侵略の事。 2013年11月20日 木曜日の投稿です。
大正9年の11月頃、 シベリア共和国のコルチャーク政権は、都市部では、武力により、占領している
のですが、 地方の町や、村では、 モスクワの共産党の宣伝工作にのせられた、農民が反乱を起こし、
合流したりしまして、 シベリア共和国の崩壊が近づいていたのです。
大日本帝国は、 このシベリア共和国を軍事支援していたのですが、 コルチャーク
提督は、 日本に、応援の援軍を派遣してほしいと、打診してきたのです。
そのような時期に、 北京の中国政府は、 第一次世界大戦で、ドイツ軍からぶんどって、
していたのでした。
カラフトの上に、アムール川という、大きな川が流れていまして、 川と言っても、
海のような、大きな川で、軍艦が航行するような、川なのですが、 4隻が、中国人の
保護と称して、 アムール川を上り始めたのです。
ここでわかりやすく説明しますと、 彼らは、まず、 商人のふりをして、多数の中国人を
送り込んで、 固まって、 集落を作るのです。
そして、どんどんと、 占拠を続けたり、 元々住んでいた、ロシア人を追い出したり、
【 北京政府の段 棋瑞 国務総理 】
もめ事がありますと、中国人の保護という理由ずけで、軍隊を軍事介入させて、
その地域を占領するのです。
大正9年の、夏場に、 ついに、アムール川上流で、中国軍と、ロシア白軍の砲撃戦
に発展しまして、 中国軍が撃退され、 アムール川を下って、退却してきたのです。
1万2千人程度の港町がありまして、 ここは、300名ほどの、モスクワ共産党が、
侵入してきて、 以前紹介したように、 個人の所有物を、国の物だと、言って、略奪
討伐して、 ロシア白軍のメドべーデフ大佐が、守備する350名の白軍守備隊、 日本軍の
陸軍守備隊、300名が、守る、港湾都市だったのです。
ここの港街は、 毛皮、木材、海産物などの商売や、後日、海軍兵学校の授業の
紹介で、お話ししますが、日本企業の海産物の缶詰の工場があったのです。
この町にも、中国人が2314人程暮らし、 日本人が731名、 朝鮮人系の高麗人が、
商売人の町だったのです。
ここに、イギリス政府、日本政府は、領事館を置いて、 日本陸軍は、栃木県の宇都宮
第14師団の隷下の 茨城県の水戸歩兵第2連隊の第3大隊の一部、300名の兵士を
【 ニコラエフスクの水戸歩兵 第2連隊 第3大隊 司令部 】
を常駐させ、ロシア白軍の支援をするともに、 我が海軍も、 海軍陸戦隊、40名、
を、港湾設備、通信所の警備で、常駐させていたのです。
そのような中、上流で、ロシア白軍と、砲撃戦を交えた後、 南下してきた、