第642回 昭和の伝道師 【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第641話 北部沿海州派遣隊出陣の事。 2013年11月24日日曜日の投稿です。
【 当時の 内田 康哉 外務大臣。】
ニコラエフスク、ナ、アムーレの日本領事館を、 中国海軍の4隻が砲撃して、日本の領事館が、
外務大臣は、厳重に抗議を、北京政府に申し入れたのでした。
【当時の中華民国 国務総理 段 棋瑞 】
当時の北京政府は、 全く知らないことで、アムール川沿いに、中国人居留民保護の
目的で展開している、艦船と連絡がつかず、 事情がわからないと、釈明し、
事件の調査を、自ら申し出てきたのでした。
段 棋瑞 国務総理は、日本政府に、当時多大な借入金があり、 日本政府の支援が
無くなると、 政権の運営がいきずまってしまうと言う、事情があったのです。
おそらく、北京政府は本当に、なにも知らないうちに発生した、事件だったようです。
外務省の石田副領事や、日本人、ロシア人市民が殺害されたらしいと言う事件が新聞
巻き起こり、 討伐軍が編成されたのでした。
先陣として、小樽港から、旭川の連隊が5月12日、 戦艦三笠などの支援を
受けて、 デカストウリに上陸、 難路の山岳地帯を、途中の14師団の合流
地点の キジ という、都市を目指して、進撃し、 また、北部のハバロスクから、
宇都宮14師団から、抽出された、 国分中佐の指揮する、歩兵1個大隊と、
中村海軍少将の指揮する、砲鑑3隻が、 アムール川を下って、 河口の
ニコラエフスクに、向かったのでした。
山縣有朋侯爵は、 長州出身の子飼いの将軍、 津野 一輔 陸軍少将を
人事命令を発令し、 共産ゲリラ追討のため、1個連隊が、北海道の旭川で、
臨時に編成され、 小樽港で、輸送船に乗船し、 日本海軍の第3艦隊と
目指して、進撃を開始したのでした。
北部のハバロスクから南下した、 宇都宮第14師団の国分中佐の大隊は、
前方に共産ゲリラの一群を発見し、 にらみ合いが続いたのでした。
相手は、ラブタ という、共産指導者の共産ゲリラ軍勢200名程度の軍勢で、
全滅した、水戸歩兵第2連隊 第3大隊の仇を討つため、重火器の一斉射撃
を行い、威圧攻撃の後、
突撃ラッパを吹いて、果敢に突撃したのでした。
時は、大正9年5月12日の沿海州の初春の出来事でした。
【 次回に続く。 】