第643回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第642話 水上機母艦 若宮航空隊出撃ス、の事。     2013年11月25日月曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
    宇都宮第14師団より抽出された、国分中佐の1個大隊は、 旭川の第7師団との合流点、
 
  
   ニコラエフスクの南方130キロ地点の キジ と言う町に行軍中、 ソビエト共産党のラブタの
 
   指揮する共産党ゲリラ 200名と遭遇し、アムール川中流で、交戦したのです。
 
 
 
 
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         共産ゲリラの部隊は、高麗人、ロシア人の混成部隊で、 森を背にして、日本軍の
 
         側面から、攻撃してきたのです、
 
 
         
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             国分支隊も、 すぐさま体制を立て直し、 大型の歩兵砲、機銃などで、
 
 
 
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             威圧攻撃を行い、 じわじわと前進を開始したのです。
 
 
 
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           ゲリラの武器というのは、基本的に、小銃と、機関銃程度の武装で、射程外から、
 
 
 
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           歩兵砲で、射撃されると、一方的な攻撃となり、 共産ゲリラは、森の中に、
 
            ちりぢりとなり、退却していったのです。
 
 
 
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          宇都宮第14師団 国分支隊は、 南下して、キジに到着、 旭川 第7師団
 
          の多門二郎 大佐の部隊と合流して、 一路、ニコラエフスク、ナ、アーレに、
 
          少しずつ進撃していったのです。
 
 
 
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          ここのキジという、合流地点は、ニコラエフスクの南 130キロに位置する町で、
 
          いよいよ、数日後、 攻撃する準備に入ったのです。  
 
 
 
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          部隊では、茨城県の水戸第2連隊の仇を討つべく、 みなみな一撃をくらわそう
 
          と意気込んでいるところに、 国分支隊の共産ゲリラ撃破の手柄話を聞いて、
 
          勢いがついたのでした。
 
 
 
 
 
 
 
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          一方、第3艦隊は、間宮海峡方面に進撃中だったのですが、第3艦隊司令長官
 
 
         野間口兼雄中将は、 艦内の作戦室で、参謀長の内田虎三郎少将の作戦に、
 
         耳を傾けていたのでした。 
 
 
 
 
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          内田参謀長は、 まず、領事館を砲撃した、中国艦隊の4隻の居場所を
 
          新兵器の航空機で、偵察し、特定してから、 艦隊を突入させ、砲撃しては、どうかと
 
         提案したのでした。
 
         又、第3水雷戦隊の、大谷幸四郎少将が、 航空機から、 ニコラエフスクの陸軍の
 
         駐屯地付近に、 救援部隊の到着を知らせるビラを空から、まいたらどうかと、
 
         意見具申があったのです。
 
 
 
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                    【 日本海軍 水上機母艦 若宮  大正時代頃  】
 
 
        早速、 第3艦隊では、 この偵察作戦を決定し、 水上機母艦 若宮 に発光信号で
 
       準備命令が発令されたのでした。
 
 
        水上機母艦 若宮 の艦橋では、 花房 太郎大佐が指揮をとっていたのですが、
 
        見張員より、「 旗艦三笠から、発光信号ありーーーー、」 と、 伝声管から、報告
 
      を聞くと、しばらくして、 「水上機二機発進準備せよ。」 と言う命令を受信したのでした。
 
        いよいよ、日本海軍の航空機による偵察作戦が始まるのでした。
 
 
 
 
 
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        時は、大正9年、 まだ冷たい風の吹く、間宮海峡付近の5月28日の出来事でした。  
 
 
 
【次回に続く。】