第646回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第645話  中国艦隊を包囲するの事。       2013年11月28日 木曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
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      大正9年の6月1日早朝、 朝靄の中、 北部沿海州ニコラエフスク、ラ、アムーレ
 
の港街の上流に到着したのは、ハバロスクから、川を下ってきた、中村海軍少将の砲鑑3隻の
 
艦隊であったのです。
 
 
 
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 周囲の状況、地形をわかりやすく説明しますと、 北海道の東のサハリンの最先端の海峡を
 
 
 はさんで、河口に入ったところでして、 やっかいなことに、河口の手前が、川砂が堆積して、
 
 
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          中央が浅瀬になっているのです。  つまり航行するには、それをさけて、入りま
 
        せんと、知らずに入りますと、船が座礁する危険性があるわけです。
 
 
         
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      日本海軍の砲鑑3隻は、 ニコラエフスクの港街の手前、数キロの半島が突き出た、
 
      比較的、川幅が狭まって、水深が深い部分の上流側に、陣取り、 中国艦隊の
 
      上流への航行を遮断したのです。
 
 
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一方、陸側の対岸には、栃木県の宇都宮歩兵14師団の国分支隊が到着し、 対岸の村を占拠し、
 
つづいて、北海道旭川の第7師団 多門支隊も到着し、軍議が開かれたのでした。
 
 
 
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          対岸の集落から、河をはさんで、 対岸のニコラエフスクを観察しますと、
 
        静かな物で、 川の中の中州の島に、中国の砲鑑3隻と輸送艦1隻が投錨しており、
 
 
 
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        川幅が、あまりにも大きく、海のようで、流れが速いので、 渡河には、船が必要との
 
        結論にいたり、 日本海軍の第3艦隊の到着を対岸の集落で待つとの決議に、
 
        なったのです。
 
  
     そして、 現地の集落の小舟を利用して、 同日の夜、対岸の偵察が行われ、 数名の
 
   偵察部隊が、 小舟で、 対岸を目指したのですが、川の流れが速く、 数キロ流されて、
 
   南側に上陸、挺進偵察を行ったのです。
 
  
         偵察分隊が、帰隊しまして、報告を聞いたところ、 町の中は、廃墟で
 
        至る所に、腐乱した遺体が、たくさんあるとのことで、 市街地は、夜中のこともあり、
 
        人気がなかったという報告であったようです。
 
 
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         翌日の6月2日、 日本海軍の第3艦隊が、河口に到着し、 川上は、中村少将の
 
        艦隊、 川下は、野間口中将の第3艦隊、 陸の対岸側は、陸軍の国分支隊と、
 
 
 
 
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                  旭川第7師団の、多門支隊が、陣を張ったのです。
 
 
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         第3艦隊は、 河の両側の水深の深い部分を閉鎖するように、 進撃して、中国
 
 
 
 
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        艦隊を、水平線に確認出来る位置に到達し、 砲身を中国艦隊に、向けて発砲を
 
        始めたのです。
 
 
 
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       2列縦隊で、進撃し、初弾が中国艦隊砲艦の近くに着弾し、 水しぶきが上がるのを
 
      確認し、次々、砲撃を随時、始めたのです。
 
 
 
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          すると、中国艦隊から、信号旗がするすると上がり、「 ワレ、セントウヲ、
 
          ノゾマズ、ハナシアイヲモトム。」 という、国債信号旗が上がったのでした。
 
 
 
 
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           野間口中将の第3艦隊は、 中国艦隊の信号旗を確認すると、砲撃をやめて、
 
           一定の距離を取って、 中国艦隊を包囲し、 砲身を向けて、いつでも、
 
           砲撃できるように、中国海軍を包囲したのでした。
 
 
 
 
 
【次回に続く。】