第654回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第653話 意見別れる陸海軍の事。 2013年12月6日金曜日の投稿です。
大正9年の3月2日、水戸歩兵第2連隊 第3大隊の司令部に、ニコラエフスク、
ラ、アムーレ
略奪行為について苦情を訴えにやってきたのです。
応対した、水上大尉は、 前日、先月まで一緒に戦っていた、ロシア白軍兵士及び、
現在も処刑が続いていて、
すぐさま、水上大尉は、部隊長である、石川正雅 陸軍少佐に、報告したのでした。
「 部隊長殿、申告いたします。 先ほど出入りの業者が、生活物資を部隊に納め
民家、ロシア白軍兵士の自宅などから、物資の略奪を行い始め、商店からは缶詰
食料品、燃料などが、共産党本部に没収され、 物資を納められないとの事であり
ます。
また、昨日、市内の刑務所で、ロシア白軍関係者200名の処刑が、これら朝鮮人
部隊によって、おこなわれているとのことでありくまして、現在も、痛ましい処刑が続
いているとのことであります。
目下の所、当部隊の兵糧は約10日分、 弾薬などは、定数の3割程度であり
ます。いかが取りはからいましょうか。」と、 手短に申告したのです。
部隊長の石川少佐は、共産党ゲリラに、何回も、和平合意違反であると、抗議した
のですが、 ゲリラ側の指導者 ヤーコフ、イヴァーノーヴィッチ、トリャビーツィンが、
ロシアの内政問題であると、取り合わないので、立腹していたのですが、報告を聞
であると考えたのですが、陸軍で朝鮮人を取り締まった場合、その先どうなるかと
考えたのです。
1月の共産ゲリラとの戦闘で、部隊の弾薬の残りの残量は定数の3割、食傷物資
は10日分、以後の物資の搬入が、共産党の物資現地徴発おかげで、出来なく
連隊で討伐に打って出れば、 共産ゲリラとの武力衝突に発展し、 部隊の全滅
を招きかねず、 寒波で救援の援軍もこず、 無線施設はゲリラ側に破壊され、
連隊司令部と連絡もつかずーーーーー。
部隊内では、 食料が底をつき、動揺が広がっていったのでした。
しかし、このまま、放置するわけに行かず、司令部を出て、 護衛の供を連れて、
海岸沿いの日本領事館を訪れ、外務省の石田副領事、 海軍陸戦隊の石川光儀
少佐、海軍通信隊の三宅駿吾少佐と打ち合わせを持ったのですが、石田副領事
から市議会の議員、市長などが、朝鮮人部隊に逮捕され、家族事連行されたと聞
が、石田副領事は、外務省の東京の本庁に、1月後半に援軍を要請しているので、
もう3ヶ月間、氷が溶けるまで、隠忍自重し、共産ゲリラと対決は、回避すべきで
あると主張し、海軍の石川、三宅両少佐も、 陸軍が300名、 海軍が40名、相手
は、4千名以上、 大変兵力差がありすぎる。
もう3ヶ月ほどすると、アムール河の氷が溶け、海軍の援軍の艦艇が到着するま
なかったのでした。
帰り路、共産党の本部のあるノーベル商会を訪れ、「 和平合意で、略奪はしない
と約束したのに、 何事であるかと。」 再度、石川少佐は、厳重に抗議したのです
が、共産党ゲリラの参謀長 ナウモフ、レモフ は、 「すべての土地、建物、財産、
物資は国家の物で、 それを1カ所に集めて、 市民に平等に配給しているのだ。」
と、主張したのです。
現在逮捕している人間は資本主義者で、党や人民のことは考えず、自分の事だけ
を考え、 食料物資を隠匿し、 また、 反共産党行為をしているので、逮捕して、
との一点張りであったのでした。
やって来るのでした。
【次回に続く。】