第657回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第656話 罠にはまった、水戸歩兵第2連隊の事。   2013年12月9日月曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
    大正9年3月12日 深夜0200時より開始された、水戸歩兵第2連隊、第3大隊による、
 
共産ゲリラ討伐作戦は、 0200時より、予定通り実行されたのでした。
 
 多くの市民が入れられて処刑されていた、ニコラエフスクの刑務所には、 後藤大尉以下、
 
90名の兵士が、粛々と進んでいったのです。
 
 
 
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  後藤大尉率いる第3部隊は、 刑務所の前まで進出してきて、ちょうど深夜の2時前でしたが、
 
 刑務所の回りに布陣して、  入り口に近づいたとたん、「  ストーーーーィ、 ルキビイックヒ、
 
  ヤポンスキーーー。」と、 共産ゲリラの歩哨に発見され、 「 パカッーンッ。」 と、一撃で仕留
 
  めたのですが、  
 
 
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    刑務所の入り口に据えてあった、 機関銃で、射撃を受ける派目になったのでした。
 
   「 ストーーーィ、 ヤポンスキーーー。」と、機銃手が叫ぶと、「 ダダダダだだーーーーー。」
 
   と、町の通りに、機銃掃射され、 入り口に近寄れなくなったのでした。
 
   後藤大尉は、「 第2分隊、右翼に散開、 第3分隊 左翼に展開、 刑務所の壁つたいに、
 
   接近して、 機銃座を鎮圧せよ。」と、指示を出すと、第1分隊に、機銃手の狙撃を命じたのでした。
 
 
    右翼と、左翼に展開しようとして、第2分隊と、第3分隊を、建物の窓から、一斉に、小銃で
 
    共産ゲリラから、射撃が始まり、 十字砲火を浴びることになったのでした。
 
 
 
 
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          正面から機銃掃射、 側面の窓からは、小銃による一斉射撃で、 ばたばたと
 
          皇軍兵士が倒れていき、後藤大尉は、待ち伏せされたことに気がついたのです。
 
          体制を立て直すため、 数百メートル後退する指示を出し、負傷者の手を引っ張って
 
 
 
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                     じわじわと、北側に、後退していったのです。
 
 
 
            そして今度は、後側に、 朝鮮人共産ゲリラの軍勢が、待ち構えていて、
 
           今度は、後側で、銃撃戦が始まったのでした。
 
 
 
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        後藤大尉の指揮する第3部隊は、市街の壁沿いに、 後退していたのですが、
 
        今度は、北側からも、朝鮮人共産ゲリラに攻撃され、3方向から、射撃され、 
 
        じわじわと負傷者、戦死者が増えていったのでした。
 
 
 
 
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           そして、建物の2階から、手投げ弾などで攻撃を受け、 アムール河の海岸
 
           沿いに、追い詰められていったのでした。
 
 
 
 
 
           ちょうどその頃、第2部隊の石川少佐の、市民ホールを襲撃する部隊は、
 
 
 
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             市民ホールの中に、共産党の集積物資があると思い込んで、入り口を突き
 
           破って、中に入ったのですが、 なにもなかったのでした。
 
 
           「 部隊長殿 申告いたします、 中は無人で、なにもありません。」と、
 
           報告を聞くと、「 しまった、 空陣の策に落ちたようだ。」と、悔しい顔をしたの
 
           ですが、 「全員、ノーベル商会の水上大尉の第1部隊と合流する、 
 
           各自、 掃討しながら、ノーベル商会に前進せよ。」と、軍刀を、振り上げて、
 
           命令を叫んだのでした。
 
 
           
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            そして、水上大尉の第1部隊も、ノーベル商会に押し入ったのですが、
 
           そこも、無人だったのです。
 
           「 大尉どの、敵兵はおりません。」 と、報告があると、南の方と、西の方から、
 
           すさまじい 銃撃戦の音が鳴り響いたのでした。
 
           「 刑務所に向かった部隊が、戦闘を始めたようです、憲兵隊の方からも、
 
             多数の銃声が聞こえます。」と、報告を受けて、 西の海岸沿いの日本領事館
 
             方向に転進することにしたのでした。
 
             伝令の兵士を、石川少佐の第2部隊に送って、連絡を取る命令を出すと、
 
             粛々と前進していったのでした。
 
 
  
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            ちょうどその頃、 市民ホールの北側数百メートルの地点に、朝鮮人
 
           武装ゲリラ、500名が、日本軍を包囲しようと、迫っていたのでした。
 
           この段階で、これらの動きをつかんで、 東部の大隊司令部に、戻っていたら
 
           また、違う戦況になっていたかも知れません。
 
           
            
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         石川光犠少佐の指揮する日本海軍陸戦隊30名は、日本領事館を出て、海岸沿いに、
 
          南側に進出しまして、 中国人共産ゲリラの宿泊施設を、攻撃したのです。
 
         ここには、 中国人共産ゲリラが120名ほど、駐屯していたのですが、
 
         陸軍憲兵隊と、ロシア共産党勢力が、銃撃戦を始めると、 中国人も起き出して
 
         きたようで、こちらも、市街戦となったのです。
 
 
 
 
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            こちらのほうも、 機銃で撃ちまくられまして、 それ以上進めなくなり、
 
            膠着状態のまま、時間が経過していったようです。
 
 
 
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           結局、日本軍が出て来ることを想定して、食料、弾薬などの物資を、別の
 
           場所に、目立たぬよう移動させ、 司令部も空にして、 日本軍が来るのを
 
           待っていたようでした。
 
           そして、町の、北側から朝鮮ゲリラ軍、 南側からロシア共産党軍、 
 
            海岸沿いからは、中国人共産ゲリラ軍に攻撃される事になっていくのでした。
 
 
 
【次回に続く。】