第661回 昭和の伝道師【戦中戦後のパイロットの物語 】
第660話、水戸第2連隊第3大隊の籠城戦の事。 2013年12月13日金曜日の投稿です。
大正9年の3月12日午後、日本の水戸歩兵第2連隊は、バラバラになって、市街の東部の
大隊本部に後退し、 負傷者の手当などが行われ、 昭和の記録によりますと、日本人居留民
などが避難してきて、その数は、140名程度であったと、数字があるのですが、推測の作文の域
をでないようです。
以前よりの備えで、塹壕陣地を作りまして、共産ゲリラの襲撃に事前に、陣地を構築していた
のが役に立ったようです。
周囲は、あっという間に、共産ゲリラに包囲されまして、脱出も出来ず、乏しい食料を節約して
大隊本部で、籠城を始めたのでした。
水戸第2連隊第3大隊では、部隊長も、中隊長も戦死し、河本中尉が全体の指揮をとって
いたようです。
少ない弾薬を節約するため、無駄弾は撃たず、狙撃に徹して、敵の攻撃には、小型の歩兵砲
を引きつけて、効果的に使用して、共産ゲリラ側の攻撃を、 数度にわたって、撃退したのです。
ゲリラ側も、死傷者が続出して、 膠着状態のまま、対峙して、共産ゲリラの司令官
ヤーコフ、イヴァーノヴィッチ、トリャビーツインは、 包囲して、 兵糧攻めにする戦法を
取ったようです。
河本中尉らは、なんとか、海軍の援軍が来るまで、死守するべく、兵力が減ったものの
何度も、何度も、ゲリラ側の攻撃を跳ね返したのでした。