第663回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第662話  共産党ゲリラの砲撃の事。        2013年12月15日日曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
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     大正9年3月26日、共産ゲリラとの籠城戦を続けていた、水戸歩兵第2連隊第3大隊は、
 
 
  突如、籠城していた陣地内を、共産ゲリラ軍に砲撃されだしたのでした。
 
 
 
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      我が方も、敵の陣地を、歩兵砲で、弾薬を節約しながら、射撃したのですが、
 
      我が軍の歩兵砲の射程外から、射撃してくるようで、 そのうち、一方的に、着弾を
 
      受けて、戦死、負傷者が続出し、兵舎は破壊され、 大きな損害を受けたそうです。
 
 
 
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               そして、共産ゲリラからの波状攻撃を、複数回受けたのですが、 
 
 
              必死に、堪え忍んでいたようです。
 
 
 
 
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             この段階で、香田一等卒の手記には、「 兵舎は破壊され、倒れ、損壊ス。」 
 
 
           とあります。
 
 
 
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             また、「 我らの歩兵砲の射程外から、射撃してくるので、中国海軍の
 
            艦船搭載砲ではないか。」と、記述があったのです。
 
 
             当時の中国人居留民が、自分たちを守るのに、必要との要望を受け、中国海軍
 
            が、貸し出したと、中国領事が申し立てていたのですが、領事が言うように、
 
 
 
 
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         そのような形で、貸し出した物を、共産ゲリラ側に奪われたのか、 又は、1日の
 
         労働成果として、共産ゲリラ側に、提出されたのか、又は、香田一等卒の手記の
 
         ように、中国海軍が、共産ゲリラと協定を結んで、日本軍の兵舎を、砲撃した
 
         のか、 当事者が、殺戮によって、殺害され、真相は、死人に口なしで、まったく
 
         わからないのですが、  中国軍の砲撃と思われる、砲撃で、陣地は破壊され
 
            
 
 
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            多くの死者、 負傷者が出たそうです。
 
           一日中、砲撃が続き、翌日、 一人の日本人軍医が、白旗を持って、
 
           水戸歩兵第2連隊第3大隊の陣地に、訪れるのでした。
 
           この使者が、多くの謎と、大きな被害を拡大させていくのでした。
 
 
 
【次回に続く。】