第664回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第663話  師団長よりの電文の事。          2013年12月16日 月曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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    大正9年3月18日、 戦闘開始から6日が経過し、籠城戦をしていた、水戸歩兵第2連隊、
 
 第3大隊の司令部では、中国人共産党ゲリラの砲撃、ロシア人共産党ゲリラの波状攻撃で、
 
 建物は倒壊し、陣地は破壊され、壊滅寸前の状態ながら、皇軍兵士の本分を発揮して、河本中尉
 
 以下、結束して、陣地戦で、 抵抗していたようです。  
 
 しばらくすると、共産党ゲリラからの、砲声、銃声がやみ、海岸沿いにある、陸軍の分院の内田
 
 軍医が、白旗を掲げて、 第3大隊の陣地を訪れたのでした。
 
 軍医は、 重傷者を助けるためにも、一度停戦することと、 胸の内側から、電文を取り出し、
 
 ゲリラ側の通信施設に、第14師団の師団長、白水 淡 中将より、 電文が入電したと
 
 電文を広げて、 籠城している兵士に、 「一度、共産党兵士に、武装解除して投降し、雪が溶けたら、
 
 師団司令部と、 共産党ゲリラとの間で、和平交渉をするので、それまでは戦闘を停止するように。」
 
 との、命令文を手渡したのでした。
 
   河本中尉らは、 弾薬が無く、食料もなく、玉砕をする覚悟であったようですが、 師団長命令で
 
 停戦が成立したとの電報を、内田軍医から受けて、武装解除に応じ、 死者の埋葬、負傷者の陸軍
 
 病院への搬送をする事になったようです。
 
 
 
 
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 ここで、 運命の分かれ目だったのですが、 連隊の大隊に、師団長の白水 淡中将が、
 
 連隊長の深水 武平次大佐を飛ばして、大隊に、ゲリラ側の無線で命令するかと言うことを、
 
 疑わなかったのかと言う事です。
 
 
 
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 実は、この白水中将の第14師団 師団長命令は、にせ物で、 内田軍医が、戦争を停戦させようと、
 
 師団長命令をねつ造した物か、 又は、ゲリラ側が、なにがしかの情報源から、第14師団の白水師団
 
 
 
 
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長の名前を知って、 電文を偽造したのか、 確認のしょうがないわけですが、 またしても、日本軍は
 
一杯食わされて、 武装解除をして、内田軍医ともども、生存者は、刑務所に収監されたそうです。 
 
 
 
 
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そして、 6月に、多門支隊が援軍で到着して、 捜索したときは、裸にされて、頭を口から上を、斧で
 
たたき潰されて、切断されて遺体で、全員発見され、 刑務所内を調べたところ、壁につぎの様な
 
書き込みが発見されたようです。
 
 
 
 
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   この写真は、当時の新聞に掲載され、 随分と反響を呼んで、国民から怒りの声が上がったの
 
 ですが、「大正9年五月24日午後12時を忘れるな。」と、落書きがあったようですが、 これが、
 
 本物か、にせ物かは、確かめようがないですが、五が漢字で、24日が算用数字で、だれが書いた物
 
 かもわからないのですが、5月の24日の12時に、処刑されたのであろうと、推測したようで、
 
 当時の、処刑された日本人の無念を伝える写真として、広く紹介されたのです。
 
 
 
 
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  結局、日本人居留民、 日本軍の軍人、 日本軍に協力した人間、 日本軍が入り込んで、
 
射撃していたロシア人の民家の住民も、日本軍の帝国主義者の協力者と決めつけられ、女子供
 
まで、朝鮮人共産党員の手で、斧で処刑されたそうです。
 
 
 
 
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   これらの事は、日本国内で、新聞で報道され、共産党や、朝鮮人、中国人に多くの反発を
 
  招いていくのでした。
 
 
【次回に続く。】