第666回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第665話 共産党ゲリラ追討の事。         2013年12月18日 水曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
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      大正9年の6月10日、 ニコラエフスク、ラ、アムーレの港街に集結した、津野 一輔
 
陸軍少将の北沿海州派遣隊の軍勢は、軍議を開いて、現状の検討と、今後の方針を決める
 
軍議が、各部隊長を集めて、行われたのでした。
 
 
      はじめに、先遣隊で到着した、多門二郎大佐から、現状の説明と、推測による顛末が
 
    報告され、遺体の数は、6千体以上にも及び、半径30キロ圏内を、偵察隊を出したのですが、
 
    共産党ゲリラ部隊の位置が、現状はっきりしないことが、報告されたのでした。
 
    どこからか、日本軍が大挙して、押し寄せてくると情報が伝わったのか、5月25日前後に
 
    町を焼いて、焦土と化して、どこかに移動したようで、問題は、どこに逃げたのかという
 
    その一点に、しぼられてきたのです。
 
 
 
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         日本軍は、アムール側の西から東上してきた、多門大佐の部隊と、ハバロスクより、
 
         南進してきた、国分中佐の、第14師団の支隊、 中村海軍少将の砲鑑3隻が、
 
         アムール河を南下したときは、大勢のゲリラ部隊を確認しておらず、可能性がある
 
         のは、アムール河の岸から、東から、北、又は、半島の南側であろうと予測された
 
         のです。
 
 
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         この新聞記事が当時の大正時代に配られた新聞の写真で、 中央が、共産党
 
        ゲリラの司令官、 ヤーコフ、イヴァーノーヴィッチ、トリャビーツィンとして、新聞で
 
        紹介されたのですが、どういういきさつで、この写真が、出てきたのかよくわから
 
        ないのですが、 左が、副司令官のラブタ と言う男でと、紹介してあります。
 
 
 
 
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           この写真が、新聞の原版の写真の様ですが、 この写真を大量に印刷して、
 
          ロシア語で、懸賞金を付けて、 海軍の飛行機で、ビラをまくとともに、空中から、
 
          索敵をして、 それらしい部隊や、人間を発見したら、部隊を派遣する方向で
 
          話がまとまったようです。
 
          つまり、部隊を小口分けて、いろんな方向に、追撃部隊を出すと、 兵員が少数となり、
 
          不利になる為、 飛行機で捜索して、その場所に、多数の部隊を送り込む、
 
          そんな作戦になったようです。
 
 
 
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       早速海軍では、 索敵計画を作り、兵員が4千名と言いますと、1日の食料だけでも、
 
       ずいぶんな量になるわけでして、次の物資を求めて、どこかの町に移動したのであろうと
 
       推測して、アムール河の、北から、南を180度、 一機で、約6度づつ、捜索範囲を
 
 
 
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       決めまして、水上機母艦  若宮 の艦長、花房太郎大佐が指揮をとって、索敵が
 
       始められたのです。
 
 
 
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           第一次世界大戦事、大正時代は欧州大戦と呼んでいたのですが、当時登場した
 
          航空機は、 戦争を変える大きな技術革新であったのです。
 
 
 
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          海軍では、いち早く、水上機母艦なる物を作り、 水上機をデッリックで、水面
 
        に降ろして、 空から、チンタオ要塞を偵察し、 後に、爆弾を搭載して、爆撃する
 
        こんな戦法があみ出され、 ドイツ軍が守備する、チンタオ要塞攻略戦では、
 
        大変な戦果があったそうです。
 
        
 
         
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      これらの水上機は、波が高い日、 天候が悪い日などは、使用出来なかったのですが、
 
      旅順要塞などの陣地戦は、飛行機の登場で、過去の遺物となり、 前線だけの戦争が、
 
      遠く内陸の、民間市街地、工場などへの爆撃と進化していき、 日本もこれらの戦法で、
 
 
 
     
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          鉄道、橋が、爆撃で破壊されて、輸送手段が麻痺したり、前線に物資を
 
         送れなくなったり、していきます。
 
 
         これらの前線から遠く離れた都市、交通網への爆撃を効果的に始めたのは
 
 
 
 
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         ヒットラーナチス、ドイツで、 ベルギー、オランダに展開していた、フランス
 
         イギリス軍は、 これらの攻撃で、補給物資が、前線にこなくなり、戦車などが
 
         燃料不足で動かなくなって、多くが戦場でとまってしまう。 こんな事になっていった
 
         ようです。
 
 
 
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             飛行機は、陸の戦いも、海の戦いも、 劇的に変えていったのです。
 
 
 
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            ドイツという国は、 その後、弾道ミサイルを開発し、 無人のミサイルで、
 
            イギリスの都市を、攻撃したり、 下のような、円盤形の航空機を
 
 
 
 
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        作って、飛ばしていたそうですが、 この分野では、世界で1番進歩していました。
 
 
        また、このお話は、順番に紹介して行こうと思っています。
 
 
 
 
【次回に続く。】