第667回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第666話 上原 勇作陸軍参謀総長統帥権主張の事。  2013年12月19日木曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
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    大正9年4月1日 ちょうど、ニコラエフスク、ラ、アムーレの港街で、大量虐殺事件が起きて
 
  いた頃、 日本の外務省は、アメリカからの強硬な圧力を受けて、シベリアからの撤退を日米で
 
  合意してしまうのです。
 
 
 
 
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         当時、日本が支援していた、シベリア中部のオムスクに首都を置いていた、
 
        シベリア共和國こと、 ロシア白軍が、 モスクワ共産党の宣伝工作を信じて、
 
        農民や、貧困層が、蜂起し、 各地で、補給が出来なくなり、撤退に次ぐ、撤退を
 
        繰り返して、負け戦が続いていたのです。  
 
 
 
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        アメリカ政府は、日本をこのまま放置すると、いずれ、中国、シベリアを占領し、
 
        軍事大国となり、将来、アメリカの敵になると判断して、 いろんな妨害活動をして
 
        きたのです。
 
 
 
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          アメリカが、圧力をかけてきて、どうして、日本が言いなりにならざるおえないのか
 
         と、言いますと、日本は、明治後半の日露戦争の頃から、国債【国の借金】を大量に
 
         発行し、アメリカに買ってもらっていたのです。
 
         言う事を聞かないのであれば、借金を全額返済しろと、圧力をかけられると弱い
 
         訳です。
 
 
 
 
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       当時の陸軍大臣田中義一 陸軍大将は、 高橋是清大蔵大臣などの説得で、
 
     シベリアからの撤退に、閣議決定に、仕方が無く、合意したのですが、 事は簡単に
 
     治まらなかったのです。
 
 
 
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       陸軍参謀総長の上原勇作 大将は、「 陸軍は、天皇の軍隊である。陸軍の反対を
 
      ないがしろにして、シベリアよりの撤退を勝手に決めるとは、何事か。」と、随分立腹して
 
      内閣の閣議決定を無視して、 浦塩派遣軍の大井 成元陸軍大将に、そのまま駐留を
 
      命じて、 雪解けと同時に、 ティーヴェーエール共和國の首都のチタ方面への出撃
 
      準備命令を発令したのでした。
 
 
 
 
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       大正時代の当時は、 陸軍や、海軍に、内閣総理大臣が命令すると言う事は出来
 
    なかったわけです。
 
    ここが、明治時代の大日本帝国憲法の特徴と言いますか、欠点でもあるのですが、
 
    命令できるのは、天皇陛下だけだったのです。  天皇の軍隊、すなわち、皇軍と呼んで
 
    いたですが、 これらの事を、【 天皇統帥権 】と呼んで、 山縣有朋侯爵が、政府を
 
    混ぜくるのに、よく利用した言葉で、 それを見ていた部下が、 まねをして、昭和に入って
 
    はどんとんエスカレートしていきます。
 
 
 
    
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        当時、陸軍は、朝鮮半島の日銀のような、朝鮮銀行と、台湾の日銀のような、
 
        台湾銀行支配下に置き、 勝手に紙幣を印刷していたので、 大蔵省の予算など、
 
        あてにしないでも良いと言うと、言い過ぎかも知れないですが、 強い態度に出ていた
 
        わけです。
 
        山縣有朋侯爵は、ロシア沿海州に、日本の植民地、又は、傀儡政権を作ろうとしていた
 
        ので、 シベリアからの撤退は、絶対反対だったのです。
 
 
 
 
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      当時の原 敬 内閣総理大臣は、対応に苦慮していたのですが、 ちょうどその頃、
 
     沿海州ニコラエフスク、ラ、アムーレで、日本人居留民大量虐殺事件が発生したことが
 
 
 
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     国内に伝わりますと、 国内から、 シベリアの共産党に、「天誅を加えよ。」と、世論が
 
      強くなり、 アメリカとの合意を、実行できなくなっていくのでした。
 
 
 
【次回に続く。】