第668回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第667話 大韓民国の建国の事。 2013年12月20日 金曜日の投稿です。
よりの、 撤退を当時の原内閣に、約束させたのですが、 もう一方では、日本陸軍が根を張って
暴動工作を おこさせていったのです。
そして、上海のアメリカの租界地【 そかいち 】をその工作機関の拠点としていたのです。
租界地というのは、 聞き慣れない言葉と思いますが、 武力で中国から奪い取った、上海の
土地を、 アメリカの租界地、 イギリスの租界地、 日本租界地と、呼びまして、戦後の上海の
海沿いの商業地帯を、植民地にしていたのです。
アメリカは、ここの上海の租界地の建物の一角を、スパイ工作機関のアジトにしまして、
ばらまいたり、 武器をばらまいたりして、 独立運動と称する、 破壊工作を進めていたのです。
戦後出来た国では無く、 大正9年、 ちょうど、日本がシベリアらの撤退を約束させられた、10日後
の、4月10日に、 中国の上海のアメリカの租界地で、建国されました。
【 左の人物が 当時の工作員の李承晩 】
と言う男が、初代大統領に就任します。
大統領の ウッドロウ、 ウイルソン大統領が、 大学の教授をしていた頃、 取り入って、近づいて、
鉄砲玉のような事を請け負っていたらしく、 ウイルソン大統領の対日破壊活動の先兵として、上海
に入って来たようです。
つまり、大韓民国と言う国は、おおくの日本人が思い込んでいるように、戦後、建国された
国では無く、 実は、私が、浪人して、新聞配りをしていた、大正9年4月10日に、出来たのです。
この李承晩 りしょうばん と言う男は、 殺人など、なんとも思っていない、極悪非道のヘビの
ような男で、 この男の手で、 朝鮮人、日本人など、200万人以上が、処刑されていったと言われ、
正確な数字が、死体が地中に埋められたため、はっきりしていないのですが、恐ろしい男であった
のです。
よくみなさんが、観光で訪れる、済州島 と、言う島では、6万人を処刑し、 多くの人が、難民と
男女群島付近は、
銃撃で、44人が射殺され、 328隻が、国際法を無視して、
強制連行され、3929人が、劣悪な環境の刑務所に収監されるという、当時の国際問題を
引き起こし、 日本に3個の破壊工作部隊を潜入させ、日赤の新潟ビルを爆破未遂事件を起こ
したり、
当時の日本の要人暗殺未遂事件を、引き起こしていきます。
被害者に、補償も、全く無いわけです。
とんでもない話で、 1度、韓国の大統領と話す機会があったら、 指摘して、 どう考えているのか
聞いてみたいと思っているのですが、 歴史の順番に従って、今後紹介して行こうと思っています。
【次回に続く。】