第669回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第668話 尼港事件 共産ゲリラを追撃ス。の事。 

                       2013年12月21日 土曜日の投稿です。
 
 
 
 
     
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我が、日本海軍の水上機母艦 若宮 から飛び立った、水上偵察機は、ニコラエ

フスク、ラ、アムーレの北東のアムール河の支流120キロ付近に、 移動中の複数

の隊列を発見し、
 
 
 
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   当時はまだ、飛行機に発信機が搭載されていなかったので、急いで母艦に

引き返したのでした。
 
 
 
 
 
  
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それまで陸軍は、 少数の偵察隊を出しては、ゲリラ部隊に待ち伏せされ、偵察隊

が全滅するという事案が、浦塩派遣軍で、多発していたのですが、北部沿海州

派遣軍 関係者は、航空機の有益性を再認識したのでした。
 
 
 
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当時、雪解けと同時に、アムール河の下流に、 殺されて、氷の池に投げ込まれた
 
犠牲者の遺体が、 打ち上げられていて、日本陸軍では、これらの仏様を、手厚く
 
遺体を回収して、火葬にしていたのでした。
 
 
 
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なにも、物を言わぬ被害者ですが、 女、子供の死体の姿を見ていると、怒りが
 
こみ上げてきたのです。
 
 
 
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   北海道の小樽港より、 どんどんと、輸送船が到着し、 物資の陸揚げ、
 
 
 
 
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   や、後続の歩兵部隊が、輸送船に乗って、次々、ニコラエフスクに、到着し、
 
 
 
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極悪、共産党ゲリラに、鉄槌を打ち込もうと、 続々と内地からはせ参じたのです。
 
 
 
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日本人が住んでいた、地域には、 立て看板が立ててあったのですが、なにもなく
 
 
 
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           残っているのは、廃墟だけだったのです。
 
 
 
 
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日本陸軍、北沿海州派遣部隊は、共産ゲリラ討伐のため、ニコラエフスク、ラ、
 
アムーレの港街を出陣して、北東に進撃したのでした。
 
 
 
 
【次回に続く。】