第677回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第676話 中日合同事件調査の事。          2013年12月29日日曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
                     ♪  訪問者10万人達成の御礼 ♪
 
 
 
 
 
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      この記事を投稿しようとして、ふと数字を見ますと、10万34人という数字でした。
 
      このブログが出来て、約2年なのですが、いろんな人にご訪問いただき、ありがとうござい
 
      ました。     
 
          今後とも、よろしくお願いします。
 
      みなさんの記事を拝見しますと、雪の所が多いようです。 温かくして、良い年末をお過ごし
 
      ください。 
         
 
 
 
 
 
 
 
 
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  大正9年の8月後半、 日本政府が、中華民国の北京政府に対して、ニコラエフスク、ラ、
 
アムーレでの六千人以上のソビエト共産党ゲリラによる大量虐殺事件に、中国艦隊が、日本軍を
 
ゲリラ側に荷担して砲撃したとか、 中国領事が、 大砲を貸し出したとか、そのような申し立てで
 
あったのですが、 その損害賠償を日本政府は、中華民国政府に請求したのですが、 北京から、
 
事実確認の使節が、現地に到着したようです。
 
 
 
 
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 これらの使節は、 包囲されて、動けなくなった、4隻の中国艦艇を、救出する意味合いもあった
 
ようです。
 
 
 
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実際の所は、よくわからないのですが、 中国艦隊は、氷で動けなくなっているところに、乏しい、
 
食料、水、弾薬とこんな所に、共産ゲリラに、圧力をかけられ、 アメリカ人のマキエフ氏の申し立て
 
のように、共産ゲリラと、単独和平を結んで、 日本側を砲撃したのか、 又は、中国領事が言うよ
 
うに、3インチ砲と、ガトリング機関銃を、 中国人居留民に、防御のため貸し出したのか、 実際は、
 
当事者の一方の日本人、ロシア人、ユダヤ人が殺されて、死んでしまっているので、わからないま
 
まであったのです。
 
 
 
 
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考えて見ますと、 中国人居留民の民間人に、3インチ砲を貸し出して、 取り扱いが出来たのか、
 
そんな、素朴な疑問も沸いてくるのです。
 
  損害賠償の確約をさせられて、中国艦隊は、ニコラエフスク、ラ、アムーレから、離れていくの
 
ですが、約束した、中華民国の北京政府は、 しばらくして破滅して、 段 棋瑞 国務総理は逐電
 
してしまい。
 
 
 
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山縣有朋侯爵が、政府に内密に、朝鮮銀行台湾銀行で、勝手に紙幣を印刷して、貸し出して
 
いた西原円借款と呼ばれる、当時の国家予算の半分近い、大量の貸付金が、焦げ付いてしまい、
 
国会で、大きな問題に発展していくのでした。
 
そして、責任追及の声が上がっていくのですが、 数ヶ月後、東京駅での 腹 敬 内閣総理大臣
 
暗殺につながっていくのでした。
 
 
 
【次回に続く。】