第678回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第677話 北部沿海州派遣隊の転進命令の事。    2013年12月30日月曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
  大正9年7月29日 夏の熱い日差しの、ニコラエフスク、ラ、アムーレの北東の北部沿海州派遣
 
隊の司令部に、東京の陸軍参謀本部から、暗号通信にて、命令の入電があったのでした。
 
 
 
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       どのような内容かと言えば、 結論を言うと、ニコラエフスク、ラ、アムーレの港街を
 
      放棄して、 サハリンこと、樺太に転進せよとの、命令であったのです。
 
      辞令では、 津野 一輔 陸軍少将は、 サザレン州派遣部隊の参謀長に横滑りし、
 
      多門二郎 陸軍大佐は、 その高級参謀と言う事になっていたようです。
 
      実際の所は、 ニコラエフスクに、多門大佐と、国分中佐が、兵力2千をもって、
 
       そのまま残り、雪が降る前に、現地を撤退することになったようです。
 
 
 
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       どういうことかと言いますと、 又、冬場の極寒期に、共産ゲリラからの襲撃があるかも
 
     知れず、 守るべき、日本人居留民も、すべて処刑されて、存在せず、この地を、守る意味
 
     合いが無かったのです。
 
 
 
 
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         陸軍参謀本部では、情報を総合すると、共産ゲリラは四散し、 司令官の、
 
       トリャビーツィンは、処刑されたと判断し、 また、この地方の気候は、農業に適して
 
        おらず、 産業と言っても、野獣の毛皮、木材程度で、 漁業も、氷に閉ざされる
 
        長い冬場は、操業も出来ず、 まったく、利用価値の少ない土地であると、判断した
 
        ようです。
 
 
 
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          雪と、氷が溶けると、土地は泥沼になり、 まったく、農耕には向かない土地だった
 
          のです。
 
          当時は、木材などは、危険を冒して、このような場所から切り出さなくても、 よそで、
 
          調達できたわけです。
 
 
 
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         そのような事情で、 北部沿海州部隊は、 サガレン州派遣部隊の基幹部隊として
 
         サハリンこと、 樺太占領軍の側面部隊として、間宮海峡を挟んで、転進するの
 
         ですが、またまた、我が海軍第3艦隊が護衛して行く事になったのです。
 
 
 
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       護衛と言いましても、間宮海峡を横断するだけですので、 すぐの距離なのですが、
 
      又々、陸軍の兵士を輸送することになったようです。 
 
 
 
 
【次回に続く。】