第679回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第678話 樺太上陸作戦の事。 2013年12月31日火曜日の投稿です。
北海道以上に広く、そして、東京から青森まで、程度の長さがあり、たかが、数千人の
陸軍では、統治不能というか、兵力不足であったのです。
【 当時の樺太の風景 】
【当時のロシア系の移民の家、 大正時代の、樺太の写真と伝えられる。】
移民のような、華僑のような人々が暮らしていたようです。
流れ込んでいたようです。
当然、日本人も、北海道から渡っていって、多数住んでいたのですが、南部に集中し、
漁業中心であったようです。
特に、 海産物の取引が活発で、 日本から、缶詰工場などが進出してたのですが、 この地域も、
緯度が、上がっていくにつれて、気温が低下し、まったく、農業に向いていないというか、 冬場は、
海面が凍結して、 船の行き来が、全く出来なくなるのでした。
そのような事情で、作戦の目的を達成するには、雪の降り出す、10月前、つまり9月中旬には、
作戦の目的を完遂しなければ、 大きな支障が出るのでした。
但し、 この地域を領土としていた、ロシア政府は既に無く、 つづいて、ロシア白軍という、シベリア
共和國のオムスク政府が領土としていたのですが、大正9年当時、 各地で、敗戦を重ね崩壊し、
守備していた、ロシア人兵士も、給金なども、支払いがとまっていたようで、 帰るに帰れず、
随分と混乱していて、 北部の対岸の、ニコラエフスク、ラ、アムーレの、6千人以上の
共産党による、略奪、虐殺事件が伝わっていて、 随分と不安な政情であったようです。