第684回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第683話、ニコラエフスクの避難者の雇用の事 2014年1月5日 日曜日の投稿です。
阿南 惟畿 陸軍大尉【のちの陸軍大将】は、南樺太の宣撫工作の道筋をつけると、
共産党の略奪行為から、土地、家、家財を放り投げて、着の身着のまま、逃げて
来た人は、仕事もなく、お金もなく、食料もなく、住む場所もなく、 そんな人々に、
ニコラエフスクでの、悲劇を伝えて歩く仕事を、阿南閣下は、提案したようです。
日本人が配って歩きますと、警戒されたり、ウソではないかと、疑う人が出て
来るのですが、実際の避難民が、配布して、事実をふれてまわると言う事は、非常
に短期間で、効果があがったようです。
ソビエト共産党の宣伝は、「 税金を無くし、 小作農に土地を分配し、医療、食料
は、無料でと。」 こんな宣伝文句で、広まっていったのですが、 実際は、乗り込
んでくると、よさそうな家を、国の物だと言って、住んでいた住人を追い出し、反抗
すると、逮捕して、見せしめのため、広場で処刑し、主要な建物を【国有化】という、
言葉を使って、略奪し、報道を規制し、 個人の家、土地、 食料、家財道具、
食料を、国の物だと言って、 住民から提出をさせ、密告を奨励し、隠し持っている
住民を逮捕して、 広場で見せしめに処刑するという、山賊と変わりない実態を
説明して、広めていったのです。
当時、日本人は、鉄道を引いて、山から無尽蔵にある木材を手当たり次第に
切り出すのはよいのですが、 植林などは、当時はせず、 またそれらの地域で
狩猟生活をしていた人々と、摩擦が起きていたようで、 阿南閣下は、それらの
ことも把握して、なにがしかの保証などの対応策を考えていたようです。
反対側の彼らからしてみたら、日本人が大挙して、自分達の暮らしていた土地に、
ここは、「日本の領土となった。」と言って、 山をどんどん、丸裸にしていくという
のは、 耐え難いことで、 自分達の生活の場が、どんどん侵略されていくわけで、
これらの人々が、山中で、共産党ゲリラに、変化してしまうと、 手がつけられなくなる、
その前に、手立てを尽くして、 手を握って、お互いの事を考えて、暮らしを立てて
いった方が、得策と考えられていたようです。
しばらくしても阿南陸軍大尉に、ロシア白軍幹部から、あって会談したいと、接触が
あったのでした。
【次回に続く。】