第686回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第685話 北カラフト進駐の事。          2014年1月7日火曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
      大正9年の8月初旬、 北カラフト進駐の為、 サガレン州派遣軍は、2方向から、樺太
 
    転進したのです。
 
 
 
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      児島 惣次郎中将の主力部隊は、 海路 樺太中部のアレキサンドロフスク に、上陸し、
 
      駐屯を開始し、北方からは、 津野 一輔 陸軍少将の部隊が、 北部油田地帯に、駐屯
 
      のため、上陸を開始したのです。
 
 
 
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          事前の宣撫工作により、 上陸は、砲火を交えることなく、ほぼ順調に
 
          事が運び、 現地のロシア人 行政府とも、打ち合わせを行い、円満に
 
        
 
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            駐屯が完了したようです。
 
            行政が、そのまま、日本陸軍の意向を反映しながら、ロシア人が行政を
 
            行い、つまり、ロシア人の緩やかな、自治に近い形であったようです。
 
 
 
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        又、日本陸軍の援助で、滞っていた、兵士の生活費の支給や、食糧の配給
 
        その他のロシア側との約束事も履行され、これらは、下級兵士の共産化の
 
        防止にも、役に立ったようです。
 
         当時のロシア白軍幹部は、 賃金の未払い、 食糧の不足は、下級兵士の共産主義
 
         傾倒や、 兵士の反乱につながると、随分心配していたようです。
 
 
 
 
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            当時、ロシアの通貨は、紙くず同然のお金となっていて、全く信用が
 
           無くなり、 逆に、アメリカのドルや、 日本円、 物々交換が、行われて
 
           いたようです。
 
 
 
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          日本は、このような形で、どんどんと、領土を拡張していき、 大東亜戦争
 
          時をのぞいて、陸地の面積では、 日本列島の数十倍の面積の国土になって
 
          いったのです。
 
 
 
 
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           つまり、 北は、シベリア大陸バイカル湖西まで、占領し、 東は、 カムチャッカ
 
           半島付近、 西は、台湾、 南は、サイパン島などの南洋諸島まで、占領し、
 
           南洋諸島は、海軍の国のようになっていき、 朝鮮半島、 満州、 台湾、
 
 
 
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           シベリア、樺太は、陸軍の国のようになっていき、 だんだんと、東京の原 敬 
 
 
           内閣総理大臣 の手の行き届かない状況になっていったのです。
 
           面積的には、 陸軍の山縣 有朋 侯爵の 陸軍の支配地域が、大部分を
 
 
 
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           しめていき、 朝鮮銀行台湾銀行で、紙幣をどんどん印刷して発行して、
 
           予算が付かない、陸軍の支払いに充てていき、
 
 
 
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             何事も、当時は、小田原の古稀庵の山縣 有朋侯爵の意向が、事を左右
 
             していったようです。
 
             しかし、数ヶ月後、 ある事件を境にして、 時の流れが変わっていくのでした。
 
 
 
【次回に続く。】