第687回 昭和の伝道師、【戦中、戦後のパイロットの物語。】

第686話  北京政府の分裂の事。           2014年1月8日 水曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
  大正9年の6月、 日本中が、尼港事件の大量虐殺事件や、 北樺太進駐で、政界も、陸軍も、
 
 
 
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                                【  陸軍省  】
 
 
国民も、大騒ぎしていた頃、 陸軍省田中義一陸軍大臣のもとに、子飼いの、奉天軍閥
 
張作霖から、北京での政変の情報が、もたらされていたのです。
 
 
 
 
 
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                         【  えん  せいがい  】
 
 
 
        以前紹介したように、清王朝が、崩壊しますと、 中国国内は、日本の室町時代
 
        戦国時代のように、 殿様が出来て、各地域に独自の軍隊が出来て、 これを
 
        大正時代には、【 軍閥 ぐんばつ】 と、表現していたのです。
 
        その軍閥が、 このまま、バラバラでは、英、米、露、日の餌食になってしまうと、
 
        危機感を募らせ、結成したのが、 【 中華民国 】という、連合体の国で、中立派の
 
        軍隊を持っていない、思想家の 【 孫文 そんぶん 】先生が、御輿を担がれて、
 
        初代大統領になっていたのですが、 縁 世凱 【 えんせいがい】という、実力者が
 
        勢いを増し、孫文先生を広東に放逐し、独裁政治をしていたのですが、 日本陸軍
 
       
 
 
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                      【 日本陸軍が後押ししていた、 だん きずい 】
 
 
          支援を受けていた、段 棋瑞 【だん きずい】 国務総理の一派に暗殺され、
 
 
 
 
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               【  英米仏が支援していた、 ふう  こくしょう 副総統 】
 
          英米仏が、支援する、 【ふう こくしょう】 の一派と対立し、 色々な政変が起き、
 
          山縣有朋 侯爵が、西原円借款と呼ばれる、大量の資金を、朝鮮銀行台湾銀行
 
          で、紙幣を印刷して、経済援助して、利息を取っていたというお話は、以前紹介
 
          しました。
 
 
 
           
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                       【 安徽派の参謀  じょ じゅそう 】
 
 
          奉天からの田中義一陸軍大臣への、情報というのは、 段 棋瑞 国務総理の
 
          参謀の徐 樹静 【 じょ じゅそう】 と言う人物が、計略をめぐらし、 英米
 
          支援する、 ふう、 こくしょう を失脚させたという、そういう情報であったのです。
 
 
          そして、 日本が支援する、段 棋瑞 国務総理は、自分の腹心であった、徐 世昌
 
 
 
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                   【  じょ  せいしょう 中華民国 大統領】
 
 
       と言う人物を、 中華民国の 大統領に据えたという、 そういう情報で、今まで
 
       2分されていた、 英米が支援する 直隷派 【ちよくれいは】と呼ばれる、 
 
       ふうこくしょう 派と、 日本の山縣有朋侯爵が支援する、 安徽派 【あんきは】
 
       と呼ばれる 段 棋瑞 派に、別れていたのですが、 北京を、 段 棋瑞 国務総理
 
       の安徽派が、占領して、 直隷派を、追い出してしまったのでした。
 
 
 
 
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       ここまでは、日本の傀儡政権が、北京を占領したことになり、 陸軍省としても、都合が
 
       良かったのですが、 原 内閣総理大臣が、 中華民国の支援打ち切りを決定して、
 
       安徽派は、資金不足に陥り、難儀をしていたようです。
 
       つまり、資金を使うだけで、増やすことをしなかったため、借金が増えていき、
 
       当時、利息も払えなくなっていたのです。
 
       利息も払えない、 担保もない、 これ以上資金提供できないと、こんな感じに
 
       なっていたところに、陸軍の寺内内閣が総辞職し、原 内閣が出来たわけです。 
 
 
 
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                              【  そう  こん 】
 
        大正9年の12月、 直隷派のふう こくしょう が、死去すると、 武力で、直隷派を
 
        掌握した、 曹 錕  【そうこん】 という人物が台頭し、 これを上海の租界地を
 
 
 
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        拠点とした、アメリカ、イギリス、フランスが軍事援助と、資金提供して、軍備を整え
 
        河北省の北京に、攻め上る準備を始めるのでした。
 
 
 
 
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        そして、奉天軍閥張作霖にも、挟み撃ちにしようと協力を求めてきたのでした。
 
 
 
【次回に続く。】