第688回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第687話 安直戦争の事。                  2014年1月9日 木曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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                 【 中国東北部 奉天軍閥  張 作霖 ちょうさくりん 】
 
 
       大正9年の7月初旬 アメリカの工作員の李承晩【上海の大韓民国大統領】こと、 
 
     イ、スンマンは、 日本の傀儡政権の段 棋瑞 国務総理の北京政府を転覆させる
 
     ため、黄海を密航して、 遼東半島に密かに上陸し、奉天城内の張作霖を訪ね、
 
 
 
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     巨額の現金支援を申し入れ、 後方の北部から、段 棋瑞の駐屯する、北京を
 
     攻撃してくれると、 北京占領後、 巨額の見返りの金を渡す。」と、提案してきた
 
     のです。 
 
 
 
 
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         アメリカ政府の代理人から、現金を渡すとの申し出に、張作霖は、李承晩の
 
     話を鵜呑みにして、 配下の軍勢を、熱河省付近に展開して、 安徽派を、背後から
 
     牽制したのです。
 
 
 
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                  【  アメリカの支援を受けていた、直隷派の曹 錕 】
 
 
           そして、曹 錕 【そう こん】の軍勢は、アメリカの軍事援助を得て、軍勢を
 
          北京方向へ進軍していき、 北京政府は、兵力を南と、東に、2方向に分散
 
 
 
 
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          する形となり、 又、軍資金の枯渇もあり、日本式に訓練されていた、段 棋瑞
 
          国務総理の軍勢は、 7月14日 河北省の保定市付近の平原で、 戦闘が
 
          開始されたのです。
 
 
 
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         安徽派、 直隷派とも、砲撃から始まり、 7月19日までの5日間の激戦であった
 
         ようです。 
 
 
 
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            残念な事に、北京政府は、兵力を二手に分けていたため、 当初は、なんとか
 
 
            互角に渡り合っていたようですが、次第に、押し出され、北京に敗走したようです。
 
 
            これを 安直戦争【 あんちょくせんそう 】という名称で呼び、 安徽派と、直隷派
 
            の戦争の略称の呼び方です。
 
 
 
 
 
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                     【 当時の北京政府の段 棋瑞 国務総理 】
 
        
 
           段 棋瑞 国務総理は、 2方向から、攻められて、 包囲される前に、一般
 
          市民に、変装して逃亡し、行方知れずになったのです。
 
          北京市内では、 曹 錕 の直隷派の軍勢が押し寄せてくると言うので、大騒ぎ
 
          になっていた、混乱に紛れて、北京を脱出したようでした。
 
 
 
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          ここで、問題となってくるのが、 日本陸軍が、 西原円借款と呼ばれる
 
          大量の貸付金、 朝鮮銀行台湾銀行で、大蔵省には、許可を得ず、紙幣を
 
          印刷して、中華民国に貸し付けていた、西原円借款、現在で言えば、50兆円程度
 
          のお金となるのですが、担保もなく、借り主は、 破滅して、行方知れずとなってし
 
          まい、焦げ付いてしまうのです。
 
 
 
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           そして、巨額な金額の報酬を約束され、北京を攻撃した、奉天張作霖も、
 
           蓋を開けてみると、 アメリカ政府の資金提供は、まったくのデタラメで、
 
           直隷派から、雀の涙ほどの報酬しか受け取れず、 次の戦争の原因に
 
           なっていったのです。
 
           
            つまり、朝鮮人の 李承晩に、 一杯食わされて、手のひらの上で、裸踊りを
 
            させられたのでした。
 
 
 
【次回に続く。】