第689回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
大正9年に、河北省保定市付近で、戦われた、安微派と、直隷派の戦いに、後方から、
北京政府が崩壊したというニュースが、東京を震撼させたのでした。
スパイ活動をしていたのが露見し、 逮捕されて、処刑される寸前に、 当時の
田中義一陸軍少佐が、児玉陸軍大将に、談判して、 命を助けたあと、なにかと、
話であったのです。
スパイ、謀略活動をしていたわけですが、 それを後ろ盾にして、奉天周辺で
従えていき、 巨大な組織に成長していったのでした。
日本側に、なにかと協力してくれるわけですから、都合が良かったのですが、知らな
いうちに、一人歩きして、 日本の傀儡政府を後から、攻撃し、 アメリカ、イギリスの
支援する、 直隷派と、北京を占領してしまったのでした。
【 北京政府の 段 棋瑞 国務総理 】
そして、日本陸軍が安微派の段 棋隋 国務総理に、大量に資金提供していた、
の北京での傀儡政権が崩壊してしまったのです。
【 当時の薩摩閥の実力者 上原 勇作 参謀総長 陸軍大将 】
陸軍内では、 先のシベリア撤退で、 原 敬 内閣総理大臣に迎合し、
田中 義一 陸軍大臣に、「 原 総理の 副官になったのか。」 と、批判が
手先の、直隷派 の曹 錕 【 そうこん】側と同盟し、 北京を占領したことに、
陰謀を企んでいるのではないかと、 上原参謀総長を中心に、批判が集中したの
でした。
そして、 国会内や、国民からも、いつまでたっても、尼港事件の加害者の
共産ゲリラを討伐したという、ニュースが流れてこないので、一部の右派系の
ずいぶんとひどい苦労をされたようです。
昭和の資料によりますと、 張作霖の安微派攻撃の事は、まったく、関与していなく、
虚偽だったと、後日わかり、「 だまされて、乗せられた。」 と言って、今度は、
いくのでした。
こうして、勉強してみますと、中国も、日本も、アメリカも、ロシアも、イギリスも、
ドイツも、フランスも、オランダも、 市民のことを考えた、政治を行おうという
人は、当時、どこの国にも、いなかったようです。
日本の暴力団のような、任侠組織は、義理と侠道があってよいほうで、
自分達の要求を聞かない人は、銃を突きつけて、 連れて行き、広場に市民
を集めて、見せしめで殺す、
それを見ていた、人々は、恐怖におびえて、 仕方がなしに従い、 重税を
軍閥に取られる。
庶民には、アヘンを売りつけて、 薬漬けにする、 中毒になって、 強盗をし
てでも、お金を作って、アヘンを買いに走る。
軍閥は、アヘンを中国市民に売りさばいて、武器を買う資金にする、
イギリス、アメリカは、アヘンを植民地で栽培して、 二足三文で
作って、 中国軍閥に、アヘンを売る。
こんな繰り返しであったようです。 治安は乱れ、 庶民は苦しみの中であった
そのように思います。
ひとりだけ、 孫文【そんぶん】先生と言う人が、こう言う事ではいけないと、
本を書いたりしていたようですが、 武力を持っていなかったので、尊敬は
されていたようですが、「 きれい事をならべる人間。」と、 当時の権力者は
だれも、相手にしなかったようです。
たようです。
ソビエト共産党とのパイプづくりのために、モスクワに派遣するのでした。
ようになっていったようでした。
しょうかーーーーー。
【次回に続く。】