第690回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第689話 鈴木商店の事。 2014年1月11日土曜日の投稿です。
戦後の現在もそうですが、政治家と一緒になって、商売をして利益を出していく。
そういう企業を、【 政商 】と、呼びますが、 当時の呼び方で、欧州大戦という名前の、
第一次世界大戦の頃から、つまり明治時代後半から、大正時代後半にかけて、 これらの
戦争の物資を納入する形で、政治家と一緒に、巨額の利益を出していった、商売人が
多数出たのです。
戦後の現在で言いますと、 【 成金 なりきん 】 などと、悪い意味で使う場合が多いのですが、
のです。
戦後の現在、 日商岩井という、総合商社がありますが、 現在の経営者は違いますが、 前身の
なども、 当時は、その傘下で、 三井、住友、 三菱にならぶ、総合商社に、戦争特需で、急成長
したのです。
ここの代表者というのは、鈴木 よね さんという、良く出来た ご婦人で、 若くして主人と死別し、
二人の番頭を頼りにして、 どんどん急速に鈴木商店を大きくしていきました。
【 鈴木商店 鈴木 よね さん。 当時有名な経営者でした。 】
鈴木 よね さんを大切にしていたというか、 庇護していたというか、 利用していた
というか、 それが、日本陸軍の重鎮 山縣 有朋侯爵だったのです。
誤解があったらいけませんので、 申し添えますが、 恋愛関係とか、そんな物は無かった
ようです。
この鈴木商店いう会社の欠点は、 三井、三菱、住友、大倉などの財閥と違い、傘下に、
巨大な銀行を持っていなかったのです。
通行する船舶の内、 10パーセントは、鈴木商店の船舶であったというくらい、大きな会社に
なっていたのです。
それを可能にしたのは、無担保の信用融資で、 山縣有朋侯爵の「わしが後で世話するけえ、
で、どんどん急速に、他の企業を買収して、会社を大きくしていったのです。
そして、 短期間で、関西一の有名財閥に成長していったのです。
に、無担保融資されていたのが、 北京政府が崩壊したため、焦げ付いたわけです。
ようですが、 大正9年にずいぶんとひどい焦げ付きが出たようです。
西原 亀三 社長に渡していたのですが、 山縣有朋侯爵の指示で、証拠隠滅が行われて
いて、気がついてみると、 公益社は解体され、 現在で言う、破綻処理されていたのです。
ほとぼりが冷めた頃、 西原 亀三は。東亜研究会という政治団体の代表として、
田中義一陸軍大将と、暗躍していくのですが、順番に紹介して行こうと思います。
気がついてみると、公益社の事務所も無くなっていて、 西原 亀三 代表にも、連絡が
出していたようですが、 同様の状態となり、 これらの銀行が、大騒ぎを始めて、 その騒
ぎが、新聞社に伝わり、 大蔵省に内密に、 途方もない融資を、外国の政府にしていた
ことが、 世間の知るところとなったのでした。
これらの事は、「 国会でどうなっているのか。」と、 追求されていくことになるのですが、
この騒動を、 【西原円借款問題 にしはらえんしゃっかんもんだい】と、呼んでいます。
この騒動で、陸軍内に、亀裂が入り、 政界、官庁、軍人の間で、 騒動が起きていく
のでした。そして、鈴木商店の経営の方向きは、大正時代と、昭和初期をまたいで、
日本経済を震撼させていく、 経済恐慌に発展していく、原因になっていくのでした。
【次回に続く。】