第692回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第691回 国内産業基盤の育成の事。 2014年1月13日 月曜日の投稿です。
【 海軍の実力者 山本権兵衛 海軍大将 】
大正7年から、原 敬 内閣が始まったのですが、 内閣総理大臣 原 敬と、海軍の
実力者、 山本権兵衛 海軍大将との政権設立に関する協力の見返りの密約は、 八八艦隊構想
【イギリスのビッカース社で、建造された 金剛 こんごう 】
の実現で、明治の初めから、大正時代まで、イギリスに、軍艦を発注していたのですが、 イギリス
のビッカース社に注文し、納船された、高速戦艦 【金剛 こんごう】を、最後にして、 日本国内で、
試行錯誤しながらでも、金剛の構造を研究して、残りの3隻の建造計画、 比叡、榛名、霧島の
建造を国内の造船所で建造していく、 こういう取り決めがされていたのです。
いままで、外国に出て行っていた、金額を、 多少コスト高になってでも、日本国内で、建造して、
その費用を、地場産業育成の為、 国内の工場に、投資しようという、そういう考えであったのです。
山本 権兵衛 海軍大将は、 借金をしてでも、自国の造船業を育成していきたいという、長期的
な展望に立った、持論があって、 それを実行していき、 船を造るのには、鉄が必要、 鉄を造
るには、石炭が必要、 石炭を掘ったら、 運ぶ鉄道が必要、 鉄が出来たら、 造船所まで運ぶ、
貨物船が必要、 そして、材料を集めて、軍艦を、自国で建造する産業を育成したい、 投資した、
金額は、回り回って、税金で国に帰ってくると、 こういう構想だったようです。
いままで、イギリスに途方もない金額が、流れていたのを、日本国内で、 消費しようという、そういう
【 原 敬 内閣総理大臣 】
お話だったのですが、 原 敬 内閣総理大臣は、 自分達が選挙を戦うのに、 票を集めやすい、
良い政策と考えて、 山本 権兵衛 海軍大将の造った、船に乗ることにしたようです。
金の出所は、 高橋 是清 大蔵大臣の智恵で、 庶民のタンス預金を、 原 敬 内閣総理大臣の
出身母体の新聞社で、「 御国のために、 報国 愛国 。」と、スローガンを掲げ、新聞に広告
を掲載して、 全国運動を展開し、 日本の隅々のタンスに眠っている国民のお金を、国債を発行して
【 当時の 高橋 是清 大蔵大臣 】
国民に買い取りを新聞で、奨励し、 政府が、国民に借金をする形で、 タンス預金を東京の大蔵省
に集めて、造船所、鉄工所、炭鉱、鉄道などの整備にあてていったのです。
その結果、 どんどん急速に、造船業の基盤整備が出来ていき、 雇用が生まれ、 造船所の
下請け企業も出来、機械部品製造の町工場の育成も進み、 石炭炭鉱から、近くの港までの、
鉄道も整備されていき、 又、海運会社も、造船所の資材運搬などの仕事も増え、 少しずつ、
大正9年になりますと、 景気が回復してきたのでした。
そういう、私も、本来なら定員が100名程度の、海軍兵学校が、 採用増しで、3年間、3倍の
300人の採用枠になったおかげで、なんとか、入学できたのです。
そういう意味では、山本権兵衛 海軍大将に、 ずいぶん、お世話になつたというか、道を
開いていただいたと、言った方がよいかもしれません。
【次回に続く。】