第694回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第693話 大日本帝国の政治の根幹の事。 2014年1月15日 水曜日の投稿です。
以前紹介しましたが、大日本帝国の政界というのは、一人ではなにも決められない
仕組みであったのです。
暴力に、物を言わせて、なんでも出来ていったのですが、大日本帝国の違う部分と言えば、
どうであったのか、 わかりやすく説明しますと、昭和19年に、サイパン島が米国に占領
同じように、独裁者と宣伝し、戦前、「愛国、報国、戦争遂行、大勝利、無敵皇軍。」 などと、
書き立てていた、不心得な新聞記者と、毎朝、生徒に、「天皇陛下万歳、打倒鬼畜米英。」と
叫ばさせていた戦争犯罪人でもある、学校の教師が、戦後、手のひらを返して、「平和、人権、
な、ヒットラー総統のような独裁者のイメージがつきまとっています。
独裁的な力はなかったのです。
もし、あったら、 やめる必要などないわけで、破滅するまで、居座ったでしょう。
広田元内閣総理大臣などの、 政治家勢力、 嶋田海軍大将などの陸軍との
迎合派が、御輿を担いでいたのですが、 放り投げてしまい、なにも決められなく
なったのです。
するしか無くなったようです。
戦前の大日本帝国は、 陸軍、海軍、政治家勢力 この3者の内、どれがかけても、
なにも決まらず、 予算も通らず、内閣総辞職するしか無くなるのでした。
弱い部分の欠点でもあったのです。
上原 勇作 陸軍大将を、なんとか、言う事を聞いてもらえるよう、心を砕いた
様です。
と、 言いますのが、アメリカからの金融圧力で、約束した、シベリアからの撤退
それに反して、どんどん急速に、シベリアに兵を進出させて、当時、内閣と対立
していたのです。
戦後の現在で言いますと、自衛隊の幹部がこんな事をしますと、逮捕ものですが、
当時は、陸軍の力が強く、内閣総理大臣には、なにも出来なかったのです。
そういうわけで、 上原 勇作 陸軍大将を 暗殺して、葬り去るか、ドブに
落として、 新聞で書き立てて、社会から抹殺するか、ーー、いろんな方法が
考えられたようですが、 上原 勇作 陸軍大将を、殺しても、次の薩摩閥の
軍人が台頭してくるだけで、なにも変わらないと判断し、接近して、協力を
求め、 要求を聞いて、懐柔していこうと、 こう言う判断になったようです。
原 敬 内閣総理大臣は、 上原 勇作 陸軍大将を、本人が希望していた
のかどうか知りませんが、大正10年4月27日 上原 勇作 に子爵【ししゃく】
の称号を贈り、 陸軍元帥の昇進に、尽力していくのでした。
原 敬 内閣総理大臣が、音頭を取って、物事を進めていったようです。
つまり、 位を与えて、 機嫌を取ろうとした、 こう言う事であったのです。
【次回に続く。】