第695回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第694回  陸軍元帥 上原 勇作の事、        2014年1月16日木曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
イメージ 1
 
 
 
   大正10年4月27日 陸軍省 参謀総長の上原 勇作 陸軍大将が、元帥に昇進し、内閣府
 
   より、子爵に、推挙され、 新しい、陸軍元帥が誕生し、 名実とも、陸軍の総帥となったのです。
 
   どうも、原 敬 内閣総理大臣と、 段階的に、シベリアから撤退に合意し、その見返りであった
 
   ようです。
 
   通常ですと、陸軍大臣が署名して、閣議決定された、シベリア撤退の閣議決定をないが
 
   しろにして、どんどん、兵を進め、占領政策を進めていく、上原 参謀総長は、 戦後の
 
   現在ですと、 即日、解任ものなのですが、 大正時代の内閣総理大臣には、天皇陛下
 
   軍隊である、陸軍に、内閣が口を挟めなくなっていたのでした。
 
 
 
イメージ 3
 
 
 
 
   そこで、原 敬 内閣総理大臣が、 考え出したのは、天皇陛下に、直接、陸軍に勅許【天皇
 
    命令】を出していただくのが良いのですが、肝心の大正天皇は、自分の事も満足に出来ない
 
    深刻な病状で、 宮城の外にはでられず、 代わりに考え出されたのが、 当時、 欧州に
 
    視察に出られて、軍艦  香取で、ヨーロッパ歴訪中の若い東宮殿下を、 大正天皇の代理
 
    にして、 東宮から、陸軍に、命令を出していただこうと、こう言う考えになっていったようです。
 
 
 
イメージ 4
 
 
 
    「 我々は、天皇陛下の軍隊、 皇軍である、 内閣総理大臣が、なにほどのものか。」と、
 
    こんな感じの、上原 勇作元帥を、内閣の思惑通り、 動かして行くには、随分と、心を砕いて
 
    いったようです。
 
 
 
イメージ 5
 
 
 
 
    私が海軍兵学校に入学してすぐの、 大正10年9月3日、 東宮 裕仁殿下が、帰国されると、
 
    今までにない、【 摂政  せっしょう 】と、いう、役職を作ることに、原内閣総理大臣は、動いて
 
    いきます。
 
 
 
 
イメージ 2
 
 
 
    東宮殿下を、 摂政にして、 摂政から、陸軍に命令を出して、陸軍をコントロールしようと
 
    していたようです。
 
 
 
【次回に続く。】