第698回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第697話 海軍兵学校 据銃演習の事。 2014年1月19日日曜日の投稿です。
校長先生の千坂智次郎 【ちさか ちじろう】 閣下が、絶対暴力禁止という、きつい命令を
厳命していたので、先輩生徒や、生徒隊監事附の兵曹に、殴られたりすることはなかったのです。
戦後、後輩の、生出君などが、小説を書いて、映画化された、海軍兵学校では、先輩生徒
の鉄拳制裁が紹介され、 ずいぶんと、殴る、平手打ちなどの暴力が紹介されていた
ようですが、 まったく、あのような、映画のような事は、私達の頃は、なかったのです。
その理由は、学校のトップの千坂閣下が、強力なリーダーシップを発揮して、教員、生徒を
指導していたので、 暴力事件は、起きなかったのです。
しかしながら、 暴力に変わる訓練というのが、いつの間にか出来上がっていて、私達
3号生徒を苦しめたのです。
本日は、 その制裁訓練のひとつの据銃演習というのを紹介したいと思います。
据銃演習と書いて、【きょじゅうえんしゅう】と読むのですが、戦後は、使わない言葉です。
たしか、当時を思い出しますと、小銃の手入れをして、分隊温習室の掃除をしまして、
唯一の楽しみであった、食事をして、終わった後の事でありました。
週番士官殿が、掃除を終了したところを確認して歩くのですが、なにやらあった
ようで、私達は、分隊の小銃掛けの前に整列させられたのです。
「 第13分隊 3号生徒、 総員8名、現在員8名 異常なし、番号、1、2、3
ーーーーーー、8 。」と、こんな感じで整列し、不動の姿勢で、整列したのですが、
週番士官の大尉殿が、 ギロリと、ヘビが見つめるように、私達を見つめまして、
「この小銃掛けを清掃したのは、誰か。」と、問われて、 先任の福元義則
生徒が、「 全員で、掃除をいたしました。」と、回答すると、 ひたいにピリッと、
しわが寄り、顔色が変わって、「 どこが、終わっておるのかーー。」と、 厳しく
指導を受けたのでした。
「 貴様の指導が良くないので、こんな事になるのだ、ばかもん。」と、 これを
見て見ろと、油の垂れ下がりを指摘されたのでした。
銃身や、遊底に、油を塗りすぎますと、 立てかけると、 じわじわと下に
時間をかけて、流れていき、 銃床に筋となって、銃掛の下に垂れるのです。
問題の小銃を手入れしていたのは、となりの井上武男生徒で、ちらりと、
となりに目を向けると、 顔が硬直して、「 まずいことになったっぺ。」と、いう
ような顔をしていたのを、覚えています。
井上武男生徒、アメリカのフォックス映画会社を、 きつね映画会社と
和訳して、 「 おもしろいだっぺや。」と、話ながら、軽い気持ちで、小銃殿を
お世話申し上げていたようで、 大変な事になったのです。
そして、急いで、もう一度、小銃の手入れをやり直し、 その後、3時間程度、行わされ
たのが、【据銃演習】という、制裁訓練だったのです。 どのようにするかと言いますと
歩兵銃を、両手で持ちまして、上に上げたり、下にさげたりを繰り返すのです。
「 全員、分隊、 据銃演習 はじめーーーい。」の号令で、上、下、上、下と、
同じ事を繰り返すのです、 初めの3分程度は良いのですが、 どんどんと、腕が
重たくなりまして、 それは、もう大変な事になったのです。
途中で、 「 もう、駄目であります。」などと、言って、小銃を降ろしたりすると、
「 ばかもーーん、 全員 連帯責任で、あと1時間、訓練をする。」と、こんな、
命令が、申し渡されまして、 ずいぶんとひどい目にあったのです。
そのほかにも、色々、制裁訓練というのがあったのですが、 随分と、
大変な思いをしたのは、 今も頭の中に、こびりついています。
【次回に続く。】