第701回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第700話  海軍兵学校 高松宮殿下の事。2014年1月21日水曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
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今日のこの投稿で、小説 昭和の伝道師は、通算700話   全体で1501回
 
となりまして、もうすぐ昭和の伝道師も2周年ですが、 毎日少しずつ健康で、
 
投稿出来たことは、時々、みなさんが、投稿をしていただくおかげです。 
 
今日は、ちょうどと言いますか、 偶然、 高松宮殿下のお話をしたいと思います。
 
 
 
 
 
 
 
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「 貴様らの今日の動きはなんだ、まったく、気合いが入っておらん。」と、怒られて
 
いた私達は、 校舎側から、高松宮殿下が、御学友の佃 定雄 【つくだ さだお】

生徒と一緒に、見学といいますか、 すこし、試合を見に来られたのです。
 
こう言う事なら、良い所を見せたいところですが、運が悪く、大目玉の説教中に、
 
おこしになられて、まずい思いをしたのです。
 
 
 
 
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                 【  大正13年頃の 高松宮殿下  】
 
 
 私達、海軍兵学校、第52期のクラスメイトは何事にも「高松宮様と同級生でーー。」
 
と、自慢げに、話すところがあるのですが、 一緒に授業を受けたことは、実は無い

のです。 
 
唯一、 宮様と一緒に行事を行う以外で、一緒であったのが、 射撃大会の時でした。
 
 
 
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高松宮殿下は、特に、射撃好きで、 分隊事の射撃大会には、参加されていました

が、お風呂、 食事、 授業、 寝室 などーーーー、まったく、別行動で、見たことも

なければお見かけしたこともない、 そんな感じの雲の上の人であったのです。
 
 
 
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高松宮殿下と、一緒に勉強していたのは、【御学友 ごがくゆう 】と言う、 選ば

れた生徒が、数名、交替で、ご一緒して、表向きの所属は、第12分隊なのですが、

 まったく、姿をお見せにならなかったのです。
 
 
 
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   卒業して、随分立って、第3艦隊 参謀の末國 定雄君 【 海軍大佐】 に、

 聞いてみたところ、彼は、その数少ない、 殿下の御学友であったわけですが、

 寝室は、一人でお休みになり、
 
 
 
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   授業は、まったくの別行動で、 侍従武官と、御学友で、ボートの訓練や、

武道の訓練、それから授業を受けられていたのですが、 高松宮殿下には、入学

当時、足が腫れて痛みを伴う持病があって、あまり激しい武道ゃ訓練などは、行わ

れなかったようです。
 
どうも、現在で言う、【かっけ】という、病気があったようで、食事から来る病気なの

ですが ずいぶん、足が腫れて、痛む病気であったようです。
 
 
 
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   殿下が、私達の怒られているそばを通られるときは、整列して、敬礼していた

わけですが、ちょうどその時、山内傳育官 【高松宮殿下の世話係】が、来られまし

て、「 豊島陸軍中将のご子息が殿下に、卵そばを献上してまいりました。」と、報告

に来られたのです。
 
豊島陸軍中将という人は、退役して、広島市長を務めていた軍人政治家で、その

子息が殿下に、卵そばを、持参したようでした。  
 
   私達は、昼ご飯も食べずに、不動の姿勢で、整列していたのですが、 頭の中

で、卵そばを思い浮かべて、つばを飲み込んだのでした。
 
すると高松宮殿下は、「  佃 【つくだ】 一緒に食べに行こう。」と、 御学友の 

佃 定雄生徒 と一緒に、建物の方に消えて行かれたのです。
 
ふと、左右を見ますと、 先任の、福元義則生徒、 後任の井上武男生徒も、 ガックリ

していて 頭の中で、卵そばを思い浮かべていたようでした。
 
当時は、食べ盛りと言いますか、いつも、空腹でした。 それが又々、ややこしいこと

になっていくのでした。
 
 
 
【次回に続く。】