第701回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
今日のこの投稿で、小説 昭和の伝道師は、通算700話 全体で1501回
となりまして、もうすぐ昭和の伝道師も2周年ですが、 毎日少しずつ健康で、
投稿出来たことは、時々、みなさんが、投稿をしていただくおかげです。
今日は、ちょうどと言いますか、 偶然、 高松宮殿下のお話をしたいと思います。
「 貴様らの今日の動きはなんだ、まったく、気合いが入っておらん。」と、怒られて
いた私達は、 校舎側から、高松宮殿下が、御学友の佃 定雄 【つくだ さだお】
生徒と一緒に、見学といいますか、 すこし、試合を見に来られたのです。
こう言う事なら、良い所を見せたいところですが、運が悪く、大目玉の説教中に、
おこしになられて、まずい思いをしたのです。
と、自慢げに、話すところがあるのですが、 一緒に授業を受けたことは、実は無い
のです。
唯一、 宮様と一緒に行事を行う以外で、一緒であったのが、 射撃大会の時でした。
が、お風呂、 食事、 授業、 寝室 などーーーー、まったく、別行動で、見たことも
なければお見かけしたこともない、 そんな感じの雲の上の人であったのです。
高松宮殿下と、一緒に勉強していたのは、【御学友 ごがくゆう 】と言う、 選ば
れた生徒が、数名、交替で、ご一緒して、表向きの所属は、第12分隊なのですが、
まったく、姿をお見せにならなかったのです。
卒業して、随分立って、第3艦隊 参謀の末國 定雄君 【 海軍大佐】 に、
聞いてみたところ、彼は、その数少ない、 殿下の御学友であったわけですが、
寝室は、一人でお休みになり、
授業は、まったくの別行動で、 侍従武官と、御学友で、ボートの訓練や、
武道の訓練、それから授業を受けられていたのですが、 高松宮殿下には、入学
当時、足が腫れて痛みを伴う持病があって、あまり激しい武道ゃ訓練などは、行わ
れなかったようです。
どうも、現在で言う、【かっけ】という、病気があったようで、食事から来る病気なの
ですが ずいぶん、足が腫れて、痛む病気であったようです。
殿下が、私達の怒られているそばを通られるときは、整列して、敬礼していた
わけですが、ちょうどその時、山内傳育官 【高松宮殿下の世話係】が、来られまし
て、「 豊島陸軍中将のご子息が殿下に、卵そばを献上してまいりました。」と、報告
に来られたのです。
豊島陸軍中将という人は、退役して、広島市長を務めていた軍人政治家で、その
子息が殿下に、卵そばを、持参したようでした。
私達は、昼ご飯も食べずに、不動の姿勢で、整列していたのですが、 頭の中
で、卵そばを思い浮かべて、つばを飲み込んだのでした。
すると高松宮殿下は、「 佃 【つくだ】 一緒に食べに行こう。」と、 御学友の
佃 定雄生徒 と一緒に、建物の方に消えて行かれたのです。
ふと、左右を見ますと、 先任の、福元義則生徒、 後任の井上武男生徒も、 ガックリ
していて 頭の中で、卵そばを思い浮かべていたようでした。
当時は、食べ盛りと言いますか、いつも、空腹でした。 それが又々、ややこしいこと
になっていくのでした。
【次回に続く。】