第702回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第701話 山内傳育官の苦労の事。 2014年1月23日 木曜日の投稿です。
狭い波に揺れる船内で、夕食の後、することと言えば、私達は士官室で、四方山話に花を
咲かせるわけです。
当時は、テレビはない、ラジオがあっても、洋上では、電波がと届がず、用をなさず、
ご婦人方とは縁がなく、 いるのは男ばかりの世界、「 おい、なにかおもしい事をやれ。」
「歌を歌え。」とか、 「 なにか、面白い話はないのか。」 と、こうなっていきまして、大概の
ーーーーーーーー云々。」と、言って、 後輩達に、 そんな話をする者がほとんどなのですが、
実際は、まったく、ほとんどお会いしたことなく、会話もなく、 雲の上の人であったと、お話
させていただきました。
私達は、基本的には、日曜日は授業が無く、 厳しい服装検査の後、江田島内は、外出が
許されて、生徒倶楽部に行って、遊んだり、みくに山【現在の古鷹山】に遊びに行ったり、
楽しんでいたのですが、高松宮殿下は、違っていたのです。
どうであったのかと言う事を、 同じ学年の学友に指定され、一緒に殿下と勉強していた、
末國 正雄 君 【のちの第3艦隊参謀 海軍大佐】に聞いてみると、 江田島から、呉に戻って
つまり、兵学校の授業は、月曜日から金曜までで、土曜日は、午前中、一斉大掃除、午後からは
なにがしかの競技大会や、行事があり、 日曜日は休みなのですが、 金曜日が終わると、
高松宮殿下は、絶えず周囲に、傳育官、 おつきの武官数名が、そばにいるので、ずいぶんと、
一人でいるのを、希望されていたようで、「 今日は、一人でよい、 ついてくるな。」と、
周囲の人に、命令を出され、 当時の教頭先生は、長澤 直太郎 海軍大佐だったのですが、
「 車を用意しろ。」と言われて、 江田島の中に唯一のガソリン車に、運転手の岡本水兵と、
後座席に一人で乗られて、小用の港に移動されたようで、 そのことを後から知った、周囲の人達
は、「 もし、なにかあったら大変である。」と、角田 貞雄教官【教官 海軍少佐】が言って、 御学友
の生徒に、すぐ後を追いかけるように、命令を出したのでした。
への、外出許可となるわけでして、後から追いかける学友の、楽しみでもあったようです。
【次回に続く。】