第706回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第705話 海軍兵学校、火事騒動の事。 2014年1月27日月曜日の投稿です。
大正10年2月11日金曜日 この日は、あいにくの小雨の天気であったのですが、海軍兵学校
の教頭先生の 長澤直太郎大佐が、高松宮御殿を訪れ、 「 殿下、 この度新しく酒保の建物
が新築落成いたしまして、本日ご案内申し上げたいのです、尚、0930時より、新築落成記念の
短艇競技が、行われますので、よかったらご臨席いただけたらと。」と、申し上げると、 そばにいた
山内 源作 皇子傳育官が、 「この寒い2月の雨の中を、殿下がお濡れになっては、お風邪の
元となる。」と、丁重に長澤教頭にお断りになり、 仕方なく、新しい酒保の落成式のみの、ご出席
になったようです。
以前紹介したのですが、酒保【しゅほ】とは、酒を飲むところではなくて、学生用販売店のような
場所でして、 普通のお店とは違い、店番は誰もおらず、 ノートなどの文房具、手紙などの封筒、
それから、靴下などの衣類、ようかんなども、置いてありまして、 伝票に、学生番号を記帳して、
品物を持ち出すという仕組みのお店でした。
「 長澤、ここが、新しい酒保であるか。」と、 小雨の中、 長澤教頭が、高松宮殿下をご案内して
歩いたようです。
この当時の建物を 【養浩館 ようこうかん】と、呼びまして、 洋館の建物と、続きの日本式の
和風の建物が建設され、 事業費は、 洋館が、当時の金額で、2万円、 和風の建物が1万円
外構工事が、3千円であったそうです。
【 養浩館 】
つまりたし算をしますと、3万3千円になります。 私が兵学校に入学した頃のはがきの代金が、
20銭でしたので、 それを基準にすると、約ですが、6千6百万円程度でしょうか、基準を変えると
金額が大きく変わってくるのですが、 新しい建物が出来たようです。
当日は、落成記念で、全校生徒、職員、関係者に、お祝い、 御膳が出て、 大ご馳走であった
ようです。
高松宮殿下と、おつきの関係武官、医務官などは、一旦、東京に帰省し、お父上の養生されている
大正10年3月6日 日曜日に、 長澤教頭達は、殿下の専用船の【 初加勢 はつかぜ 】で、
1500時に、宮島口まで、お迎えに行き、 殿下とその一行をお迎えして、江田島に戻ったようですが、
長い鉄道の旅で、高松宮殿下は、随分お疲れになり、 寒気を訴えられ、西村医務官が、体温を
おはかりすると、38度近く、熱があり、 大変な事になったと、騒ぎになっているところへ、 「 長澤
大佐殿 、一大事であります。」と、入船直三郎大尉が、駆け込んできたのでした。
長澤海軍大佐は、「 ばかもん、 貴様、落ち着け。」と、 一喝したようですが、「 学校の方向に
火の手が見えるのであります。」と、報告すると、 みんな、「 なに、ほんとうか。」と、 甲板に出て
当日は、曇り空だったのですが、もくもくと煙が、海上から見えたのでした。
【次回に続く。】