第709回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
高松宮殿下は、以前紹介したように、【かっけ】という、病気に悩まされ、足がぱんぱんに
腫れて、体調不良が続き、宮内省からの御付きの医務官数名が同行し、絶えずお世話していた
ようです。
そこで、教官とお二人で、授業があり、又武道場などでも、必要があれば、お相手に、御学友が
指定され、 お体の具合を見ながら、授業が行われていたようです。
そのようなわけで、 校長の千坂閣下も、教頭の長澤海軍大佐も、 殿下が16才と言う事もあり、
すべて、別の場所で、 人目に触れないように配慮していたのです。
つまり、 頭の良い人間ほど、 自分より能力の低い人間を見下す物で、 16才とは言え、
兵学校の全国から選ばれてきた、18才の生徒と比較すると、数段以上に、落ちるわけでして、
悪い見下した風評がたたぬように、皇室の威厳を保つため、 山内 源作 皇子傳育官、
田村 不顕 御付武官 【当時海軍大佐】 小林 晋 海軍少佐【教官】などの周囲は気を
使っていたようです。
高松宮殿下が、射撃好きというお話は、以前紹介しましたが、そのほかに、小説を読むのも
お好きであったようで、 どのような物を読まれていたのかと、御学友であった、末國 正雄君
【海兵52期のちの第3艦隊参謀 海軍大佐】に尋ねると、大正時代当時の小説では、村上
浪六氏の小説や、賀川 豊彦氏の【死線を越えて】とか、田山 花袋氏の【二つ生】などを、
よく読まれていたようです。
それから、将棋を指すのがお好きであって、大正時代の当時は、軍艦の中の娯楽と言いま
すと、 将棋や、囲碁をする将校が多かったのですが、殿下もその一人であったのです。
ただ、末國君に聞きますと、ひとつ、関係者の間には内々の決まりがあったそうで、将棋を
指す時は、時間をかけないよう、ぱしっ、ぱしっっと、指していく、と、言いますのは、どういうことか
と尋ねると、殿下は、待つのが苦手であったようで、 末國君の失敗談を聞きますと、 「 殿下、
変わった手を打たれますな。」と、お話しすると、「世は、将棋の名人から指導を受けておる。」と、
言われ、末國生徒が、「 うーーーん、うーーーん、 うーーーーーーっ。」と、連発して、
考え混んでいると、 殿下が、イライラして、 「 もうやめた。」と、言って、 将棋を両手で、
不機嫌にガチャガチャと、崩されてしまうそうで、それを遠くから見ていた、佃 貞雄生徒が、
「 貴様、どうして、もう少し、殿下の顔色を見ながら将棋をさせんのか、つまらんやつだ。」と、
小声で、教えてくれたそうで、 それ以後、 殿下を待たせないように、 殿下がコマを動かされたら、
次は、すぐ、将棋のコマを指して、 お待たせしないよう、配慮していたそうです。
そして、一局あたり、15分を越えないよう、 お相手していたようです。
【次回に続く。】