第710回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第709話 海軍兵学校高松宮様のお手紙の事。   2014年1月31日金曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
  高松宮殿下の元には、よく皇室からのお手紙が届いていたようで、一番多いのが、お母上の
 
貞明皇后様からのお手紙で、2週間に1度程度の割合で、海軍兵学校に届けられていたようです。
 
 
 
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                   【 大正天皇皇后陛下 貞明皇后陛下  】
 
 
  お手紙は、私達の場合は、郵便配達が配達するのですが、 宮様のお手紙は、宮内省から
 
 使者が持参され、 東京の様子や、逆に、江田島の様子を、東京に持ち帰っていたようです。
 
 16才で、本人の希望とは言え、学習院を中退して、江田島海軍兵学校に入られたのですが、
 
 お母様は、心配で、心配で、仕方がなかったようです。
 
 お母上の次に手紙が多かったのが、兄君の東宮殿下で、高松宮殿下も、よくご返事を
 
書かれていたようです。
 
 
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               【 左から 裕仁殿下 三笠宮殿下、 高松宮殿下 秩父宮殿下】
 
 
    世の中、仲の悪い兄弟が多いのですが、高松宮様のご兄弟は、大変仲が良く、特に、
 
   その間で、調整に当たられていたのは、東宮 【のちの昭和天皇】で、あられたようです。
 
   大正10年10月15日の土曜日、 私達の分隊は、分隊対抗の競技に負けまして、
 
   分隊の監事殿に、指導を受けていたのですが、ちょうどその日、以前紹介したように
 
 
 
 
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    広島から献上された卵麺をいただいている最中に、東宮殿下から、欧州歴訪のお土産が
 
    高松宮御殿に届けられたようです。
 
 
 
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    そのお土産とは、 ポインターの雄雌の犬、2頭と、 東宮殿下が、選ばれた油絵、
 
    ブロンズの胸像、 望遠鏡であったようです。
 
    「 宣仁【のぶひと】そちは、犬を大切にしているので、世が選んだ、イギリス国の犬をつがいで
 
     送り届ける。」と、 お手紙があったそうで、 高松宮御殿に、お犬様が、増えたのでした。
 
    この2頭の犬の名前は、ショット  と、ネリー という名前になったそうで、 東宮殿下の
 
    御拝領の御犬様と言う事で、大切に飼育されたのです。
 
 
 
 
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    東宮殿下の裕仁殿下は、歴訪の寄港地で、当地の状況、風景など、細かく書いて、その都度
 
 
 
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    高松宮様に、お手紙を書かれていたようで、優しい弟思いのお兄様であられたようです。
 
    3人の弟に、いつも配慮して、顔色を見て、相談に乗り、 一家を円満にまとめていく、
 
    簡単そうで、大変な事で、 東宮殿下は、周囲に絶えず気配りされていたようです。 
 
 
 
 
【次回に続く。】