第726回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第725話 海軍兵学校 宮島弥山【みせん】登山競走の事。 2014年2月16日 日曜日の投稿です。
に乗って、到着したのでした。
私達は、背嚢に、水筒といういでたちで、人員点呼をを行いまして、整列したのです。
すると、教官監事の河野 通茂 海軍少佐 【海兵35期卒】が、大声で、「 全員、注目。」と、号令を
かけられたのでした。
「 あーーーーーっ、本日は、5分間隔で、分隊事に出発し、登山の所用時間を競う物とする。
毎年のことであるが、分隊全員の到着を待って、その終了の時間とする。
1番遅い分隊は、 日頃の海軍精神が、ゆるんでおる証拠である、 ふんどしを締め直すと考え、
ここの宮島から、兵校【海軍兵学校の事】の江田内まで、 泳いで帰ってもらうこととする。
えーーーー、第1分隊は、 集合、 総員、時間合わせ、 5、4、3、2、1、ただいま
0800時、 第1分隊 出発せよ。」 と、号令をかけたのでした。
第1分隊は、 急いで出発していったのです。 私達は、「 えらいこっちゃなーー。」
「 どんじりになったら、たいへんやど、 ここから、江田内まで、泳いで帰らんとあかん。」
なにしろ、10月の末日とは言え、前日の土曜日は、ひょうが降ったのですから、随分と
当時は、寒かったのです。
角田 隆雄 分隊伍長が、私達に集合をかけ、「 全員注目、 1番はじめに、3号、
ついで、2号、1号生徒の順で、登山する。 3号生徒は、遅れるな、遅れると、2号生徒が、
後から押せ、最下位にならぬよう、用心せよ、 1人でも脱落すると、 分隊全員の連帯
責任となる。」と、訓示を行い、私達は、水筒から、水を汲んで、飲んで、自分達の分隊の
出発に備えたのでした。
沿道には、宮島の島民が、 籏を振って、私達を激励してくれ、私達は、宮島の桟橋を
出発したのです。
はじめはなだらかな道のりでよいのですが、そのうち、急勾配になっていきまして、
なれているつもりの私も、息が荒くなってきたのです。
少しでも、遅くなってきますと、後の2号生徒に、 「 貴様、 はやくいかんか、
このばかもん。」と、どやされるのです。
私達は、一生懸命、 1、2、1、2と、号令をかけて、 登山道を上がって行ったの
でした。
【次回に続く。】