第729回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第728話 海軍兵学校 弥山【みせん】登山競技の事。 2014年2月19日 水曜日の投稿です。
大正10年10月30日 日曜日 私達第13分隊は、 どかどかと、宮島の弥山【みせん】の
登山道を、後の分隊伍長殿と、伍長補どのに、せき立てられるように、駈け降りたのでした。
所定の時間内に、早く、走らせることでありまして、 一人の脱落者もなく、走らせるのが任務な
訳です。
そういうわけで、1番後にあって、 他の1号生徒を、追い立てて、 走らせるわけです。
そして、1号生徒は、 前の2号生徒を、どやしつけながら、前に走るわけで、 その前の3号生徒の
私達は、 先頭を走らされるのですが、 考えて見ますと、 よく考えてあるというか、 自分が、
先頭になって、走って行きますと、 どんどん遅れてくる生徒が出て来るわけです。
そういう人物を放置して、自分達だけで前に進撃しましても、 落伍者が出ましては、 いくら
早くても、 分隊の成績は、遅くなってしまいます。
私は、走っている時は、そんなことを考えるゆとりはなかったのですが、 後で考えてみますと、
部隊の統制学と言いますか、ずいぶんと勉強になったのでありました。
私達が、海岸沿いに下山してきた頃には、 第1分隊などは、計算上は、1時間程度
前に下山していたという、暗算になりまして、 はじめの数字の分隊は、 糧食【弁当のにぎりめし】
をとっておりました。
「 わっしょい、わっしょい、わっしょい。」と、声を出しまして、 やっと私達は、海岸沿いの
最終地まで、 駈け降りたのでありました。
私達の分隊は、落伍者もなく、なんとか、 少し早い遅いは、あった物の、なんとか、
到着したのです。
到着しましたら、全員、荒い息をしながら、 整列しまして、 番号を叫んで、点呼を
総員、45名 、 現在員、 45名 異常なし、 以上終わり。」と、 申告したのですが、
意地悪の、監事附の曹長が、「 貴様、どこが、終わっておるのか。」と、 因縁を
つけられたのでした。
その間も、後の第14分隊の生徒が、どんどん、到着してきまして、時計の針は、
どんどんと、進んでいっていたのです。
私は、心の中で、「 なにをしとるんや。」と、ずいぶんと、いらだったのを記憶して
おります。
【次回に続く。】