第731回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第730話  海軍兵学校 宮島弥山【みせん】登山競技の事。 2014年2月21日 金曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 大正10年の10月30日の日曜日の午後、 毎年恒例の、兵校【海軍兵学校の略】の秋の宮島
 
弥山【みせん】登山競技の、成績が発表されたのでした。
 
監事の 丹生 猛彦 海軍中佐【海兵 30期卒】より、申し渡しがあったのでした。
 
 
 
 
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「  全員、注目、 本日の登山競技で、1着から、2着までの分隊には、明日、10月31日の
 
月曜日に捧拝式などが、予定されておるのであるが、終了後は、天長節祝日と言う事で、特別に
 
外出を毎年許可しておるのであるが、 諸君の知っての通り、小用港で、チフス【腸チフス】が、発生
 
しておると言う事もあり、島内の外出は許可できん、 そこで、明日の行事が終了後、 特別に、
 
呉への外出を、 河原石港【現在の川原石港 呉から少し西にある港】経由で、 夕方の16時まで
 
許可をする予定である。
 
今日これから指名する、 ケツ番と、 ケツ2番の分隊については、明日の河原石港までの、
 
上陸分隊のランチ【短艇】の送り迎え、及び、 これから、宮島から、江田内までの帰路、
 
 ケツ番の分隊については、 泳ぎで、 ケツ2番目の分隊については、泳ぎの分隊のランチを
 
通常の半分の人数で、 兵校まで持ち帰ることを命ず。」 と、お話がありまして、 私達は、
 
 乾いた口の中に、つばを飲み込んだのでした。
 
 
 
 
 
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   順位を聞いてみれば、第3分隊が、最後の分隊で、 私達の分隊が、最後から2番目であり
 
  ました。
 
  私は、心の中で、「 やれやれ、最後でなくて良かった。」と、思ったのですが、これからどうなる
 
  のか不安であったのです。
 
  長いランチを 半分以下で、第3分隊のランチも一緒に、こいで持ち帰るとなると、 ずいぶん
 
  大変な事です。
 
    しかし、明日の捧拝式とは、なんやねんと、疑問に感じたのです。
 
   しばらくして、 一斉に、江田島に向かって、帰ることになりまして、分隊事に、「 足ふみ
 
   はじめーーい。」の号令の元、 分隊の移動が始まったのでした。
 
   私達は、最後尾で、 第3分隊のランチに初めて乗ることになったのでした。
 
 
 
 
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        ランチの上で、 先輩生徒に、「 あのーーー、捧拝式とは、なんでありますか。」と
 
        聞いてみると、 当時は、 大正天皇の在位中で、 大正天皇陛下のお誕生日が
 
        毎年8月31日であったのですが、どういうわけか、 海軍兵学校では、 10月31日
 
        に、天長節祝日と、呼んで、この日を祝日とし、 朝方、なにやら行事を行い、その後は、
 
        
 
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          日曜日同様、 休日で、江田島内への外出が許されていたようです。
 
 
          今年は、伝染病の流行で、 外出がないみたいですが、祝日のようでありました。
 
          第3分隊の、分隊員は、衣服を脱いで、私達に、たとんで預けると、ふんどしに
 
          なりまして、 冷たい秋の宮島の海に入っていったのでした。
 
          私の乗ったランチは、 先導船で、 泳ぐ生徒の少し前を 遅い速度で、 
 
          海を進んでいくことになったのです。
 
 
 
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          ふと、水面を見ますと、 先に出発した、他の分隊のランチは、どんどん、遠のいて
 
          いったのでした。
 
 
 
 
【次回に続く。】