第732回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第731話 海軍兵学校1番の泳ぎの達人、末國正雄生徒の事。2014年2月22日 土曜日の投稿です。
大正10年10月30日の日曜日の午後、 私達は、宮島から、よその分隊のランチに乗りまして、
私達の位置と言いますのは、 進行方向に対して、 背を向けた形で、オールを動かしていて、
泳いでいる連中の姿が、よく見えたのであります。
井上 武男 生徒が、「 あーーーーあいつら、たいへんだっぺや。」と、先任の福元 義則
生徒に話しかけますと、福元 義則生徒が、「 ほんまでごあす、 冷たい中、水泳とはーー。」
と言うので、私が、「 水中の中の方が、ぬくいんやないか、 えろーーう、冷たい潮風が吹いて
来たがな。」と、 こういう雑談をしながら、 彼らの20メートル程度前を、江田内に向かって、
ランチを進めていたのです。
の観海流 【かんかいりゅう】の古式泳法を習いに行ったお話をさせていただいたのですが、
私は、後の泳いでいる、連中の中に、一人だけ、変わった泳ぎをしているといいますか、
観海流では、「 よーーーゆーーーこーーーれーーー。」と、こんな感じで、リズムをとって、
平泳ぎに近い形で、顔を上げて泳いでいくのでありますが、 同じようなペースで、泳いでいる
生徒を見つけたのです。
海軍兵学校に、入学しまして、約2ヶ月、生徒300名程度のクラス【当時の学年の事】で
まだ、全員の顔と名前がわからなかったので、 私は、 先任の、福元義則生徒に、
「 おいーー、あそこに泳いでおる、あの、生徒や、 そうそう、あの生徒、 なんちゅう
生徒かいな。」と、尋ねると、 福元 義則生徒が、 「おいどんも、ようわかりもはん。」と、
言うので、後任の井上 武男生徒に、 「 井上生徒は、知らんかいな。」と、問うと、
「 いやーーー、第3分隊のことは、わからんだっぺ、 俺たち3人より、成績が
いいだっぺや。」と、言うので、「 私は、 そりゃーーそうやがな。」と、3人で、笑ったので
した。
しばらくしますと、潮の流れの穏やかな場所にさしかかり、 ランチを停船させまして、
泳いでいる連中は、 海上で、休憩することになったのでした。
私は、その生徒の泳ぎ方が、ずいぶん気になりまして、休憩中も、見事な浮きようで、
「 はぁーーー、あの生徒は、 泳ぎの達人や。」と、 こう悟ったのでした。
「 しかし、井上生徒、 冬場に、船が沈んで、 海で、長時間すごさんといかんように
なったら、えらいこっちゃなーー。」と、話しかけると、 「 俺は、ごめんこうむるだっぺや。」
というので、 「 ほんまでごあすな。」と、福元 義則生徒も、相づちを打つので、
こんな事には、なりたくないと、この時考えていたのですが、 後年、また順序を
おって紹介しますが、 私が、空母加賀に乗艦している時に、海上に飛行機で、
燃料切れで、着水しまして、東シナ海を潮に流されて同僚と泳ぐ派目になるのですが、
随分と、心細かったのを記憶しています。
そして、私達は、 又、 ゆっくりと、江田内の港を目指して、 進んでいったのです。
幸い、 水難事故もなく、夕方、 兵学校のランチ置き場に、到着したのです。
よその分隊のランチとはいえ、 丁重に、かたづけまして、 作業していたところ
気になっていた、生徒が通りかかり、彼が、 「 わしらのランチ、持って帰ってくれて
ありがとうございました。」と、言うので、 私は、「えーー泳ぎっぷりやなーー、
感心して、見とったんやがなーーー。」 「 わしは、奈良の葛城の淵田いうんや。」
と、挨拶すると、 「 山口県の、末國いうんじゃ。」と、お互い初めて挨拶したのです。
の泳ぎ手で、 末國 正雄 生徒【海兵52期卒 のちの海軍大佐 山口県出身】でした。
当時、全学年を通して、彼が1番泳ぎに関しては、優れていて、私は色々見学して
おそわって行く事になります。
そして、しばらくして、末国 正雄生徒は、 高松宮殿下の御学友に、選ばれて
いくのですが又、順序をおって、また紹介していきます。
【次回に続く。】