第759回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第758話 海軍兵学校 かっけの症状の事。     2014年3月21日金曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
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  大正10年11月26日 土曜日の朝、私達は、空腹で、生徒食堂に移動しまして、整列し、
 
分隊監事殿の到着を待ちまして、 着席し、 たしか当日は、パンとワカメの味噌汁程度の
 
朝食であったと思いますが、一斉に食事を開始しまして、 空腹な事もありまして、我を
 
忘れて、 朝食を食べていたのでした。
 
 
 
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     ちょうどその頃、 高松宮殿下の特別官舎の通称 高松宮御殿では、「 西村、西村、
 
   すまぬが、ひざをさすってたもれ。」と、高松宮殿下が、西村文雄 二等軍医に、ひざの
 
   痛みをうったえられ、 西村軍医が、「 殿下、大丈夫でありますか。」と、ズボンを脱いで、
 
   ヒザを出して、 手でさすっていたのです。
 
   「 あーーーーーーいたたたたたたたたっ。」 どうも、昨日の、戦艦 摂津の当直士官の
 
   実習で、立ち姿のまま、 長時間艦橋で立っていて、 おまけに、上下波で揺れたので、
 
   ヒザに負担がかかったようでした。
 
 
 
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    当時のかっけという病気は、原因不明の病だったのですが、 その後、原因が解明され、
 
   ビタミン不足、運動不足から来る病気で、ひどい場合は、死に至るそうですが、 高松宮殿下
 
   の場合は、 足の甲から、ももにかけて、腫れる症状が出て、 随分と痛かったらしいです。
 
    しばらくしますと、「 殿下、朝食のお時間でございます。」と、 山内 源作 傳育官が、
 
    入室してこられ、「 昨日は、やはり、 行かなかった方がよかったようですな。」と、
 
    心配そうな顔でお話になり、 「 山内、 ズキズキ痛むのじゃ。」と、高松宮様が、症状を
 
     訴えられると、「 今日は、安静にされていた方がよろしいようです。 金谷の御用邸
 
    行くのも、中止して、 ここで、静養していただきます。」と、 このような事で、本日の
 
    兵学校の3号生徒の戦艦 扶桑の見学会は、高松宮殿下は、静養と言う事で、不参加と
 
    なったのです。
 
 
 
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              【  大正時代の 呉 鎮守府 正門  現在の広島県 呉【くれ】市 】
 
 
 
     ちょうどその頃、 戦艦 扶桑 【ふそう】 の艦長 大石 正吉 海軍大佐【海兵24期 
 
     海大7期  京都府出身 】は、 鎮守府から、 転任命令を受けて、 大正10年12月1日
 
     付発令で、 海軍少将に進級され、 青森県の大湊要港司令官に、転出され、 同じく、
 
     扶桑の副長 【艦長に次ぐ2番目の役職】の 河村 達蔵 海軍中佐【 海兵30期卒 神奈川
 
     県出身】も、 12月1日発令で、 龍田 艦長に転出し、 海軍大佐に昇級の辞令を受け
 
     取っていたのでした。
 
 
 
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      海軍という所は、 いつ人事が発令されるかわからない所でしたが、 平時は、
 
      大概が11月中旬に、内示等があり、11月後半から、 12月初旬に 人事移動が、
 
      大正時代当時から、 昭和初期にかけては、行われていたのです。
 
     戦艦 扶桑の艦長と、副長は、 2人そろって栄転して、昇級し、艦内は祝賀の雰囲気に
 
     包まれていたのでした。
 
 
【次回に続く。】