第760回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第759話 海軍兵学校 呉までの航海の事。 2014年3月22日 土曜日の投稿です。
呉湾まで、隊列を作って、航海することになったのです。
以前紹介しましたが、海軍兵学校という所は、年上であろうが、年下であろうが、成績の
番号順に、序列がありまして、 わかりやすく言いますと、相撲の番付のような物です。
私達の分隊の1番番号の少ない生徒は、 鹿児島一中卒業の 福元 義則 生徒でありました。
私達は、朝食の後、西側の護岸に整列しまして、番号をさけんで点呼の後、敬礼して監事附の
曹長殿に、本日の命令を受けたのでありました。
に停泊しておる、戦艦 扶桑【ふそう】に、向かう、 この分隊の先任は、福元生徒、貴様であるから、
貴様が指揮をとり、 次のハンモックナンパーの淵田生徒は、 福元生徒の補佐を命ずる。
全員、指揮官及び、指揮官補佐の指示に従い、他のランチから遅れぬよう、努めるように、以上、
終わり。」と、命令が伝達され、 福元生徒が、「 敬礼。」 と、号令をかけると、私達は、敬礼した後、
駆け足で急いで ランチの準備に取りかかったのでした。
福元 義則 生徒が、 「 分隊、 ロープゆるめーーーーーーーぃ。」と、号令を掛けると
後の生徒が、 「 うしろよーーーーし。」と、大声で合図し、 前の2人の生徒が、
「 ロープ ゆるめーーい、よーーーそーーろーーー。」と、合図をしながら、少しずつ
ロープを緩めていったのです。 これを上手にしませんと、ランチが、
斜めになったり、 ひっくり返ったりするわけです。
こうして、ランチを海面におろしまして、私達の呉への航海が始まったのです。
指揮官は、福元 生徒なので、彼が艦尾に陣取りまして、笛を吹くわけです。
「 ビッ、 ビッ ビッ ビッ 。」と、こんな具合で、笛を吹きまして、それに合わせて
漕いでいくわけです。
なれるとそうでもないのですが、なかなか漕ぐのは大変でありまして、私達は、兵学校の
前の江田内の湾を出まして、 津久茂瀬戸の水道を抜けて、面舵にとって、 左弦に、似島
、右舷に 椎ノ木鼻を見ながら、隊列を組んで航海をしていったのです。
私達は、半島をぐるりとまわりまして、切串の沖合を通過し、吉浦沖、呉湾に
入って行ったのです。
みんなどういうわけか、戦艦の見学会があるためか、漕ぐのが早く、 スイスイと
ランチが海面を進んでいき、 随分かかると思われていた呉までの航海は、あっと
いう間に、すぎていき、私達の船団は扶桑の停泊している、呉の沖合に到着したのです。
「 みんな、 水平線に戦艦が見えてきもんした。」と、福元生徒が後でさけぶのですが、
私達は、進行方向の逆に頭を向けて、 後ろ向きなので見えるはずもありません。
福元生徒は、 「 おーーーーーすごかーー。」と、 ニコニコしながら、私達に
親切に教えてくれるのですが、 私達は、こがないといけないので、大変であったのです。
到着してみて驚いたのですが、昨日に乗艦した摂津よりも、排水量が1万トンも大きい艦で、
海面から、甲板までが、8メートルもあり、 そうですね、戦後の建物で例えますと、3階建ての
屋根の上、いや、もっと上になるでしょうか、 鉄の壁というところです。
そして、 困惑させられたのが、 乗艦に使う、縄梯子と言いますか、艦の側面に
張り出した、電信柱のような、柱からおろされている、縄梯子から、上に上がらないと
いけないのでした。
そして、私達は、この縄梯子から乗艦することになるのですが、ずいぶんと
怖い思いをするのでした。
【次回に続く。】