第761回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第760話 戦艦扶桑 漢那 憲和 【かんな のりかず】大佐の事。2014年3月23日日曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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   大正10年11月26日 土曜日の朝、私達は、戦艦 扶桑【 ふそう 】の近くに、ランチを止め
 
ましていよいよ乗船することになったのです。
 
  当日は、晴天で、波もなく、穏やかな海であったのですが、電信柱のような足場が艦の側面から
 
出ていまして、 丸い柱の先に、 縄梯子が取り付けてありまして、 それをつかんで上がるわけです。
 
福元 義則生徒が、「 全員、 乗艦はじめぇーーい。」と、号令をかけたのですが、だれも登ろうと
 
せず、 井上 武男生徒が、「 日本海海戦にのつとって、 指揮官が先頭だっぺや。」と、言うので、
 
私が、「 ほうや、ほうや、 艦隊の先頭は、海軍では、旗艦が先頭と、きまっとるさかい。」と、言うと、
 
福元生徒が、顔をしかめて、「 おいどんから、のぼるでごあすか。」と、 しぶしぶ、後から、揺れる
 
ランチの中を歩いて、縄梯子につかまろうとすると、ランチが、左右に揺れて、「 おーーーとっとっ
 
とと。」と、随分横波が来て、「 だれやねん。」と、横を見ると、小型の動力船が横づけしてきたの
 
でした。
 
 
 
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     「 どこのぼんくらかいな。」と、私が文句を言おうとすると、 金線にサクラのマークが
 
     3個ついている大佐の階級章をつけた、40代半頃のきりっとしたひげの生えた人で
 
     あったのでした。
 
     私は、「 大佐殿に敬礼。」と、 声を上げますと、 みんな急いで敬礼したのでした。
 
     大きなトランクを持って、 縄梯子を片手でつかむと、あっという間に、張り出しの足場に
 
     上がられまして、 平地を歩くように、するすると丸い細い電信柱のような足場を歩いて、
 
     あっというまに乗艦されたのでした。
 
     私は、その姿を見て、「 はぁーーーさすがは、海の男や、さっそうとした身のこなし、
 
     たいしたもんや。」と、言うと、 井上 武男生徒が、「 たいしたもんだっぺ。」と、言って、
 
     分隊のみんなで感心していたのでした。
 
 
 
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   感心していると、「 こらーー貴様ら早く上がってこんか。」と、 甲板の上から声がして、私達
 
  は、仕方なしに、順番に縄はしごを登って、 張り出し足場の上を歩いて、乗艦しようとしたの
 
  ですが、先頭の福元生徒が、前だけ見て進めばよいのですが、下を見る物ですから、途中で
 
  とまってしまいまして、 そうしますと、 私も当然とまりますと、下を見るわけです、 上から下の
 
海面まで、6メートルか7メートル高さがあって、 足元は、50センチ程度の丸い棒ですから、随分
 
  怖い目をして、やっと、戦艦 扶桑に乗艦できたのでした。
 
 
 
  
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                  【  漢那 憲和 海軍大佐 沖縄県出身 後の海軍小将 】 
 
 
  実は、後からわかったのですが、すれ違った大佐殿は、 扶桑艦長 大石 正吉 海軍大佐殿が、
 
  転出し、 新しく着任された、艦長で、 漢那 憲和 【 かんな のりかず 】海軍大佐殿 
 
  【海兵27期  沖縄県出身  のちの海軍少将 衆議院議員 】 だったのです。
 
 
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  漢那 海軍大佐殿は、 皇太子殿下の 東宮欧州歴訪で、お召し艦になった、 イギリスから
 
  輸入された、戦艦 香取 の艦長から、転出して、 扶桑の艦長に着任されたようでした。 
 
  そして、山本五十六海軍大尉 【当時 後の連合艦隊司令長官 】に、海軍大学在籍中、
 
  教官として、指導をされていたのです。
 
  そしていよいよ、艦尾の甲板に乗艦した生徒から整列しまして、見学会が始まったのでした。
 
 
 
 
【次回に続く。】