第762回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第761話 海軍兵学校 戦艦 扶桑案内書の事。   2014年3月24日月曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
            
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    大正10年11月26日の土曜日の午前中、私達は、戦艦 扶桑 【ふそう】に乗艦しまして、
 
    艦尾の甲板に集合しまして、点呼の後整列したのでした。
 
    さすがに、前日の戦艦 摂津【せっつ】より、 1万トン程度、大きい船ですので、ずいぶん
 
    大きな鉄の城という感じの戦艦でした。
 
 
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    私達は、整列していますと、 生徒一人一人に、紙の案内書をいただきまして、案内書と
 
    いいましても、 文字だけのガリ版印刷のような、簡単な印刷物でした。
 
    当時、昔の事で、お名前は覚えていないのですが、 砲術長どのでしたか、海軍中佐殿が、
 
    私達の前に立てられまして、 訓示をいただいたのです。
 
    早い話が、 各分隊に別れて、機関室、 主砲、 艦橋などに別れて、見学の為移動するので、
 
    隊列を乱さず、粛々と進んで見学するようにと言うお話でした。
 
    最後に、必ず、機関室に降りる途中、上がる途中で、迷子になる生徒が、出るので、心して
 
    遅れないように、注意するようお話があったのです。
 
   
 
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        私達は、分隊事に指示された甲板士官殿のあとをついて進んでいきまして、
 
        私達の分隊は、艦首に移動しまして、まずは主砲を見学したのでした。
 
 
 
 
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    甲板士官殿は、 私達に「 アーーー注目、 この扶桑の主砲は、356ミリ砲と言って、
 
    口径は、45口径で、 この艦には、12門装備されておる。 世界でも強力な戦艦で、
 
    どこの戦艦にも、ひけはとらない。 頼もしい主砲である。 これを撃つと、 砲弾は、
 
    ここからであると、広島城くらいまで、飛んでいって、 敵を攻撃できる我が国の
 
    最新兵器である。」 と、こんな具合に、説明があったのです。
 
 
 
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      私達は、説明をうけながら、「 はぁーーーすごいもんやな。」と、見上げまして、感激したの
 
     でした。  昨日の戦艦 摂津にも、感心したのですが、 こちらの砲が大きくて、子供の頃から
 
     のあこがれの戦艦に乗れて、私はすごく満足していたのでした。
 
 
 
 
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          移動しながら、次々と説明がありまして、 「 あーー、この艦は、 大正4年の
 
         11月8日に呉海軍工廠で完成し、就役したのである、 おい、 おぃ 貴様、
 
         貴様だ。」と、 今川 福男 【海兵52期卒 東京都出身 のちの海軍大佐 】 
 
         生徒を指名しまして、「 つまり、扶桑は今年で何歳か。」と、質問されまして、
 
         今川生徒が、「 6年であります。」と、返事を元気よくすると、「 その通りである。」
 
         と、満足そうに言われ、 「 艦の全長が205メートル  艦の幅が、28メートル、
 
         喫水線の水面から、甲板までの高さが、8、7メートル 。」と、説明され、
 
         「 おい、 今度は、貴様だ。」 と、管久 恒雄 【 広島県 福山誠之館中学卒 
 
         のちの海軍中佐 】生徒を指名して、「基準排水量は、何万トンと書いてあるか。」と、
 
         問われ。 管久生徒が、「 30、650トンであります。」と、回答すると、その通りで
 
        あると言われ、続けて、「 150ミリ 50口径砲が16門ーーーー云々。」と、説明が
 
        あったのです。 
 
 
 
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         管久 恒雄生徒こと、 管久海軍中佐は、昭和14年7月に航空機の事故で、
 
         事故死するのですが、当時は、飛行機事故で亡くなる同期の生徒が多かったのです。
 
         私も、墜落を経験するのですが、墜落、原子爆弾被爆と、 一人だけ生きていら
 
         れたのは、イエスのご加護であったと思います。
 
 
 
【次回に続く。】