第763回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第762話  海軍兵学校 水兵の身の軽さの事。   2014年3月25日火曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
   私達は、次々、水が流れるように、大まかな説明を受けながら、戦艦 扶桑 【 ふそう 】の
 
艦内というか、 目立つ部分のみを案内していただいたのでした。
 
実は、 艦橋のブリッジの中などを拝見したかったのですが、大人数では人が多すぎてあふれてしまい
 
上には登れなかったのです。
 
 
 
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                 【  扶桑の2倍の排水量の6万トンクラスの 戦艦 大和 】
 
   
       又、順序を追って紹介して行くつもりですが、 私達、航空屋が、大和ホテル、武蔵旅館
 
      などと陰口を言っていた、 大和クラスでは、ブリッジに上がるのに、エレベーターがついて
 
      いまして、草鹿 龍之助 海軍中将のお話ですと、ずいぶんと、快適であったそうですが、
 
      私達が、見学していた大正時代の当時の扶桑は、そのような物はついておらず、 ずいぶん
 
      急な、ハシゴに近い昇降設備であったのです。 
 
      そこに、海軍兵学校 の3号生徒、52期の生徒と、案内人300人近くが、殺到しますと、
 
      にっちもさっちもいかなくなるわけでして、 仕方がなかったのです。
 
 
 
 
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   私は、甲板を一通り見学して歩いたのですが、ここで大きな考え違いをしていた事に、気が
 
 ついたのです。
 
 陸軍に進むと、 地面を徒歩で歩いて、ほふく前進とか、肉体的につらい訓練が続き、 海軍の方
 
 が、海の上でスイスイ動いて、楽であると、畝傍中学 【 現在の奈良県立畝傍【うねび】高校の事】に
  
在学中から、安易に考えていたのです。
 
 
 
 
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                【 艦上では、 毎週金曜日が、洗濯の日でありました。 】
 
 
  ところがです、例えば水一つにとっても、 海上では節水を求められ、飲み水も勝手に好きに
 
 飲めず制限を受けていましたし、 海上では、戦後の現在では知る人が少なくなったのですが、
 
 毎週金曜日が、 洗濯の日であったのです。 
 
 
 
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         1週間に1度の洗濯で、海水を使って洗濯するわけです。  
 
   何事も、水は海上では、貴重品で、水がなければ死んでしまい、大切な生命の水であったのです。 
 
 
 
 
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      当時は、戦後の現在と違い、クレーンが発達していなかったので、重量物、食料品
 
     砲弾、弾薬 など、すべてが人力に頼っていたため、 大変きつい仕事でありました。
 
 
 
 
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     同期の者が口をそろえて、海軍を辞めようかと考えたと言うほどきつかったのが、練習
 
   航海の時の石炭搬入で、 ずいぶんと、当時は大変であったのです。
 
   又、練習航海のお話など、順番に紹介して行くつもりですが、戦後の現在の艦艇は、重油
 
   を、燃料でホースをつないで、 給油するだけですが、私達の当時は、コークス、石炭などの
 
   燃料を人力で積み込んでいたのです。
 
 
 
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   この作業は、 鼻の中から、口の中、 首回り、 露出しているところは、ススだらけになる
 
  のです。   いゃーーーーあれは大変でありました。
 
 
  それから、 水兵は、 身軽でないと務まらないわけです。 おそらく陸軍の兵卒にまねしろと
 
 
  言っても、出来ないでしょう、  甲板の命がけの仕事を少し読者のみなさんに紹介しますと
 
 
 
 
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     まず、高い所に上がることが、恐ろしいと言う者は務まりません、 例えば、軍艦は定期的に
 
    潮風が当たりますので、塗装をしないと鉄で出来ていますから錆びていきます。  
 
   戦後の現在のように、 落下防止ネットのついた簡易足場など、当時はまったくないのです。
 
   私達が、見学した扶桑で、  水面から、艦橋の上まで、 50メートルありました。
 
   そういう所も、すべて、塗装して行くわけです。
 
 
 
 
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      足をすべらせて、 落ちたら絶対 死亡です。  随分危険な作業で、丘【陸の上の事】の
 
 
 
      上と違い、 船ですから、波で揺れるわけです、 大変危険な作業です。
 
 
 
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      初めはこうして、艦の側面の塗装からしていくわけです。 落ちたら、 「 おい、貴様、
 
     何をしておる、 海水浴であるか。」と、ずぶ濡れ程度の笑い話ですむわけですが、 
 
     夏場は、まだ良いのですが、 冬場に落下しますと、 死にいたる場合もあり、海上での
 
     塗装作業、艦の手入れは、命がけの作業で随分と大変だったのです。
 
 
 
 
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    上の写真なども見ていただくと、 命綱もなしに身が軽くて、平行感覚が無いとできません、
 
    大変な重労働で、 見ていた私は、陸軍の方が楽であったと、 大きく認識を変えざるをえ
 
    なかったのです。
 
    それから、 甲板磨きと言いますか、清掃ですが、 木甲板の上を、タワシのようなもので
 
 
 
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    8メートルも下の海面から、海水をくみ上げて、 甲板にまいて、 ゴシゴシとやるわけです。
 
 
 
 
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    当時は、ポンプなどないので、全部人力で、桶に海水を8メートル下から、引き上げるのです。
 
    これが又、 ずいぷん大変な重労働でありました。  
 
    初めはよいのですが、時間が立ちますと、 田んぼの草取りよりも、まだきつい仕事であり
 
    まして、水兵は大変な仕事であったのです。
 
 
 
 
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    私達は、横目で見学して、 艦尾の機関室に降りて見学していくのでありました。
 
 
 
【次回に続く。】