第765回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第764話  海軍兵学校 戦艦 扶桑 薄暗い厨房の事。  2014年3月27日木曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
イメージ 5
 
 
 
 
     油臭い、空気の悪い騒音だらけの機関室の周辺を回って、 又、艦尾から、中央付近
 
  に移動しながら、 何階だったか、記憶していないのですが、 何度も何度も、隔壁を通過し
 
  まして、ずいぶん長く感じたのですが、上に、上に私達は、登っていったのです。
 
 
 
イメージ 1
 
 
 
      そして、案内されたのが、右舷にあります 艦長などが、会議などで使用する、佐官室
 
     と呼ばれる、 比較的、光が入る部屋を見学したのでした。
 
     ここは、 戦艦扶桑の幹部の数人が着席できる特別な部屋でした。
 
      ここで、大佐から少佐までの佐官は、 当番兵と呼ばれる主計課の兵士の給仕で、
 
      食事をとったり、打ち合わせをするわけです。
 
      戦後の自衛隊ですと、第4分隊に該当する部署が、 幹部達のお世話を毎日かかさず
 
      行うわけです。
 
 
 
イメージ 2
    
 
 
         炊事を行う場所は、 窓際の比較的、光が入るところで行われますが、 薄暗い
 
         場所というのは、変わりない程度で、 戦艦扶桑では、 交代制で、当直の人の
 
         食事も入れますと、 1日4食、 乗員1200名分、 毎日、毎日、用意して、準備
 
         していくので大変な部署でした。
 
 
 
イメージ 6
 
 
 
        主計課の仕事も多岐にわたるのですが、 食材の搬入、管理なども、重要な
 
        仕事でありまして、 重たい荷物を運ぶので腰を痛める水兵も当時は、多かった
 
        のです。
 
 
 
イメージ 7
 
 
           これらの食料の在庫などは、 御国の品物と言う事で、厳正に在庫管理がなされ、
 
          缶詰ひとつ紛失しても、連帯責任となって、随分と厳しく食糧管理がされていたの
 
          です。
 
          どうしてそうなったかというと、 過去の明治の頃に、横流し、 盗難、 腹を空かした
 
          水兵が食べるなどして、 紛失が相次いだからのようです。
 
 
   
イメージ 3
  
 
 
 
           初期のイギリスなどの輸入艦は、 炊事は、コークスを使用して、火で炊事を
 
           行っていたのですが、 国産艦になっていくにつれて、機関室からの蒸気を
 
           利用しまして、 スチームで、米を炊いたり、料理をしていたようです。
 
           まあーーー、私達は見ていたのですが、 多忙な部署でありまして、又、スチーム
 
           を使用するので、 室内温度の高い場所でもありました。
 
 
           魚のうろこを取る係は、数人で、一生懸命、そればかり、 野菜を切る係は、
 
           そればかり、永遠にその作業ばかりするわけです。
 
           分業で、 工場みたいな物です。
 
           個人で、なにかを別に調理したり、 そんなことは許されない環境でした。
 
 
 
イメージ 4
   
 
 
       誰でしたか、随分昔の事で、失念したのですが、「 本日の我々の昼の糧食は、なんで
 
       ありましょうか。」 と、 質問した生徒がおりましたが、 「 さぁーーー、そんな命令
 
       出てはおらんし、貴様らの糧食の補給は、 どうもないようだ、 昼は抜きだ。」と、 こんな
 
      返事がかえってきまして、ずいぶん、がっかりしたように、記憶しております。
 
       ここを見学しまして、又、ぞろぞろと長蛇の列で、 艦尾の甲板に上がって行ったのでした。
 
 
 
【次回に続く。】