第769回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第768話 海軍兵学校 入船山の水交社の事。 2014年3月31日月曜日の投稿です。
工場などを、修学旅行生の長蛇の列のような感じで、見学して歩いたのです。
生まれて初めて見る、軍艦を建造する造船所の中の見学でしたが、同じクラスの中の
生徒の中には、 この見学会で、軍艦を建造する造船の方とか、 大砲を作る方面とか
弾頭、爆薬に興味を持って、その方面進んでいく生徒も多かったのです。
同じ年の奈良県の同郷の、 1クラス先輩の安井 保門 【海兵51期卒 後の海軍大佐】
生徒などは、その筆頭でありました。
海軍将校と言うより、 安井生徒は、当時の最先端の艦政本部の技術者であったのです。
私達は、 7番から、4番の北方向に歩いて行きまして、 呉鎮守府の庁舎の東側
【 入船山の 呉 水交社 古写真 】
に、当時、入船山という、小さな丘がありまして、 ここの坂道を上がって行くと、水交社
【すいこうしゃ】という、ホテルの様な建物があったのです。
水交社というのは、何かというと、海軍省の外郭団体で、退役した、中将クラスが、代表を務め
まあ、 戦後の現在風に表現すると、 海軍の天下り会社で、 大変大きな組織であったのです。
戦後、 連合軍に解体されまして、 土地建物は接収され、 組織はなくなるのですが、
しばらくしまして、私達が音頭をとって、 戦後の水交会 【すいこうかい】 退役海軍軍人の集まり
の会を作って、現在まで続いています。
ちなみに、陸軍では、偕行社 【かいこうしゃ】と言う組織が、 各師団司令部の近くにありまして
将校の装備品を一手に独占販売したりして、 大きな組織でありました。
広島偕行社というのがありまして、 又紹介しますが、昭和20年8月5日の原爆投下の
前日に、 そこの偕行社で、 大東亜戦争の遂行会議が朝の10時から行われたので、
よく記憶に残っています。
一命を取り留めたのです。
水交社は、各鎮守府に整備され、 私達が初めて訪れた頃は、海軍将校専用の高級ホテルの様な
設備であったのです。
つまり、 物品の販売や、 将校の宿泊施設、接待所を兼ね備えていたのです。
そして、私達は、やっと、山に登って、水交社に入り、 遅い昼食をとることになったのでした。
現在は、 呉市の、のどかな公園になっています。
【次回に続く。】