第769回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第768話  海軍兵学校 入船山の水交社の事。  2014年3月31日月曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
   大正10年11月26日土曜日の正午過ぎ、 私達の分隊は、 呉海軍工廠の砲身製造の
 
工場などを、修学旅行生の長蛇の列のような感じで、見学して歩いたのです。
 
 
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      生まれて初めて見る、軍艦を建造する造船所の中の見学でしたが、同じクラスの中の
 
     生徒の中には、 この見学会で、軍艦を建造する造船の方とか、 大砲を作る方面とか
 
     弾頭、爆薬に興味を持って、その方面進んでいく生徒も多かったのです。
 
     同じ年の奈良県の同郷の、 1クラス先輩の安井 保門 【海兵51期卒 後の海軍大佐】
 
     生徒などは、その筆頭でありました。
 
     海軍将校と言うより、 安井生徒は、当時の最先端の艦政本部の技術者であったのです。  
 
     
   
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         私達は、 7番から、4番の北方向に歩いて行きまして、 呉鎮守府の庁舎の東側
 
 
 
 
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                      【  入船山の 呉 水交社 古写真 】
 
 に、当時、入船山という、小さな丘がありまして、 ここの坂道を上がって行くと、水交社
 
 【すいこうしゃ】という、ホテルの様な建物があったのです。
 
 水交社というのは、何かというと、海軍省の外郭団体で、退役した、中将クラスが、代表を務め
 
 まあ、 戦後の現在風に表現すると、 海軍の天下り会社で、 大変大きな組織であったのです。
 
 戦後、 連合軍に解体されまして、 土地建物は接収され、 組織はなくなるのですが、
 
 しばらくしまして、私達が音頭をとって、 戦後の水交会 【すいこうかい】 退役海軍軍人の集まり
 
の会を作って、現在まで続いています。
 
 
 
 
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  ちなみに、陸軍では、偕行社 【かいこうしゃ】と言う組織が、 各師団司令部の近くにありまして
 
  将校の装備品を一手に独占販売したりして、 大きな組織でありました。
 
  当時は確か、 海軍兵学校の近くと言えば、広島城の近くの第5師団司令部の界隈に
 
  広島偕行社というのがありまして、 又紹介しますが、昭和20年8月5日の原爆投下の
 
  前日に、 そこの偕行社で、 大東亜戦争の遂行会議が朝の10時から行われたので、
 
  よく記憶に残っています。
 
  翌日の朝の8時に、 広島市ごと、廃墟になったわけですが、 イエスのお導きで私は
 
  一命を取り留めたのです。 
 
 
 
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  水交社は、各鎮守府に整備され、 私達が初めて訪れた頃は、海軍将校専用の高級ホテルの様な
 
 設備であったのです。
 
  つまり、 物品の販売や、 将校の宿泊施設、接待所を兼ね備えていたのです。
 
  そして、私達は、やっと、山に登って、水交社に入り、 遅い昼食をとることになったのでした。
 
  現在は、 呉市の、のどかな公園になっています。
 
 
 
【次回に続く。】